今日の熊本は晴れの天気ですが、台風一過で一気に秋がやってくるのかなと思っていたものの、暑くはないけど日中は短パン半袖でも過ごせる一日になりました。
さて、私がゴルフを最初に始めたのは38歳で転勤した5番目の職場がゴルフコンペが盛んだったためで、貰った古いアイアンセットを持って打ちっぱなし練習3~4回だけでそのコンペに参加したことがきっかけです。
その初ラウンドは熊本県で最初に開場したといわれる熊本ゴルフ倶楽部で、阿蘇登山道の途中にある山岳コースでした。
ルールも何もわからず、今思えば無謀なことをしたなと思いますが、同伴者の職場の先輩達に助けられて深い霧の中をラウンドして、正確にスコアを数えられないため同伴者が数えた数字をスコアカードに記入し、そのスコア117が正確かどうかは不明ですが一応初ラウンドのスコアになりました。
当時は初ラウンドにしては良いスコアだと皆から褒められたものの、自分では良かったという意識は全くなく、思ったように打てなかったことがかなり残念に思っていましたが、このスコアで収まった理由は今思えばドライバーやフェアウェーウッドを全く使用しなかったからです。
つまりすべてアイアンしか使用せず、ミスショットは数多くあれども狭く難しいコースでOBを打った記憶がないラウンドで、ほとんどが尺取虫のように少しずつグリーンに近づいて行ったという内容でした。
初ラウンド後は同じように初参加した同僚と一緒に練習場通いを始め、少しずつクラブを買い揃えてゆきましたが、最初にドライバーを振った際の球の飛び方に衝撃を受けたものです。
一緒に練習していた同僚はソフトボール仲間で私より長距離ヒッターでしたが、ゴルフに関しては私のほうが飛距離が出るため、俄然面白くなりました。
ただ方向性はスライスが酷く、広い練習場の中央左から正面を狙って打ったのに右のサイドネットに当たるほどの強烈なスライス球が出ていました。
練習は楽しく徐々に自己流で1人で練習し始め、時々ラウンドに行くのはその同僚と一緒でしたが、当時はキャディー付きだったけどラウンド途中でキャディーがあまりの2人の内容の酷さに怒って職場放棄したことがあったほどです。
結局、このスライス球がその後もずっと自分の持ち球になったのですが、最初の転機はまじめにゴルフに取り組もうと思った7年後の6回目の転勤で、通勤途上にあった練習場でレッスンを受けたことが始まりでした。
そのレッスンは5人ほどのグループレッスンでしたが、最初のレッスン生とコーチとの顔合わせでコーチから目標を尋ねられ、何もわからず「パープレー」と答えましたが、その私の答えを聞いたコーチから「だったら厳しく教える」と宣言され、他のレッスン生とは違った扱いをされる羽目になりました。
今思えばそれが良かったのですが、当時はティーショット後に斜面を降りると怒られるなどプレー以外でも厳しく指導され、他のレッスン生は昼食時にビールを飲んでいても私はダメと言われたりしました。
他のレッスン生には優しかったのに私のミスショットでは、クラブチョイスが悪いなどと厳しく指摘されたりしましたが、もともとが体育会系の部活を長年経験していたためそこまでイジケたりはせず、他のレッスン生は1クール8回で辞めてゆく中、天草へ転勤になるまで2年半近く続けました。
レッスンを受け始めてからコーチに「ゴルフ場のメンバー」になることを勧められ、たまたま当時の職場に阿蘇ゴルフ倶楽部(通称「赤水」)のメンバーの先輩がいて「あなたに合うゴルフ場だ」と言われていたため、会員権を取得したいという意欲が湧きました。
それを事前にコーチに相談すると「赤水は名門で距離はあるけど、あなたは飛ぶからよいかも」と言ってくれ、会員権を購入することになりました。
赤水でのメンバーとしての初ラウンドは月例に職場の先輩と一緒に参加しましたが、同伴者はシングル2人が一緒で、昼食時に同じテーブルに付いたのにその2人とは全く会話することがなく、食事後に先輩が「シングルは我々みたいな者とは口をきかない」と吐き捨てるように言いましたが、その時はそんなものだと思っていたものの後に私はその2人とは仲良くなったので、単に先輩がコミュニケーション面で問題があったのかもしれません。
そう思った理由は、先輩は上級者と一緒だと借りてきた猫のようになる性格で、自分が一番上手いと思うと偉ぶる様子が伺え、私は新会員の後輩なので最初は問題ありませんでしたが、HDCPが先輩(HDCP「18」)より良くなってからは一緒にラウンドすることを避けられるようになったからです。
当時のクラブHDCPは10回のクラブ競技のスコアで決まり、数か月後の最初に貰ったHDCPは「13」でしたが、当時の私は90切りがなかなかできず一度だけ奇跡的に上手くいって85というベストスコアがその10回に含まれていたのです。
たまたま知り合って仲良くしてくれていた方がHDCP委員だったので、「なぜ13なんですか?」と尋ねたら「85を1枚出していたから、その力量があると判断された」と言われ、なんだか適当だなと思ったものでした。
これも後で知ったことですが、当時は「11」以上はほぼベストスコアをもとに算出し、80切りをした者は「10」となりますが、「10」から「9」へのシングル入りには70台のスコアが3枚必要となり、二桁HDCPの者には壁が高く簡単になれない運用でした。
そのため1,000名以上の会員数の中でいわゆる「シングル」は50人に満たず、逆に「10」の者が異様に多かったのですが、最初の月例に参加した際に口をきいてくれなかった「シングル」から後に「10なんて意味ない。悔しかったら早く9になれ!」と叱咤激励されたこともありました。
当時は毎週日曜に行われるクラブ競技にほぼ皆勤していましたが、HDCPを取得してから職場の先輩から避けられるようになったため1人で参加していて、そのためいろんな方々と知り合いになっていたのは、当時の私が飛距離だけは出ていたため印象が強かったせいだと思っています。
ラウンドが終わってからも「あなたの飛距離が出せるなら自分だったらアンダーで回れる」とHDCP2の同伴者から皮肉めいたことを言われたこともあるし、たまたまシングル祝いのコンペがあって参加した際に元クラチャンでレッスンプロに転向した方からも「あなたは飛ぶね~」と呆れたように言われたのは、ドラコンホールを2つとも取っていたのにスコアは90近く叩いていたからです。

(赤水にはほかに外輪コースがありますが、アウトは杵島でインは中岳になっています)
赤水(阿蘇ゴルフ倶楽部)はバックティーから7,100y弱の距離がありましたが、私はフェアウェーウッドは使えなかったので、パー5のセカンドはいつもアイアンの4鉄でした。
赤水最長のホールは12番(中岳3番)パー4で軽い打ち上げで470y弱ですが、ドライバーが真っ直ぐ当たればアイアンで問題なく届いていたほどで、当時は5鉄で200yという認識でした。
現在の自分もそうですが、飛距離が出るゴルファーは上手い下手は関係なく印象が残るもので、当時の赤水のメンバーの中では私は飛距離だけは出る者として皆から認識されていたのです。
その代わり曲がるときは半端なく、12番のコースは左右が広くてOBなど出すのが逆に難しいホールですが、私はよく右にOBを打っていたものです。
もし、私が赤水ではなくもっと狭いコースをホームコースにしていたらスコアにならなかったはずで、職場の先輩やコーチが「あなたに合うコース」と勧めてくれたのは間違いではなかったのです。
ただ広い赤水でOBを打つくらい曲がるため他のコースではドライバーは振れず、対外競技に参加するようになった頃はドライバーを封印してティーショットでは5Wを使用していました。
それでもきちんと当てれば赤水の410yのスタートホールのセカンドは9鉄もしくはPWを使っていました。
今では見る影もないほど衰えた飛距離ですが、飛んでいた原因を自分なりに分析すると、学生時代は卓球をしていてパワードライブを打つために毎日自室でビール瓶を持って素振りをしていたので、右下から左上へのスイングスピード(振る力)があったからではと思っています。
ゴルフの前はテニスにも10年ほど熱中していて、テニスのフォアハンドストロークも卓球のドライブと同じスイングにしていたので、スイングスピードが落ちずにゴルフへ転向できたのでしょう。
スライスが酷かった原因も同様で、ゴルフは目標に対して横向きに構えますが、卓球やテニスでは半身で構えてスイングのフィニッシュでは正面を向くため、ゴルフでは開きが早くなり結果スライスになりやすいのだと思っています。
ソフトボールのバッティングで距離が出なかったのも、開いて打つ癖があったためですが、ゴルフの場合は打ってから開くためエネルギーを球に伝えられていたはずです。
こんな赤水が私の最初のメインとなるホームコースになりました。
(以前の練習動画がありました。上はパット練習で下は自宅庭でアプローチ練習の合間にリフティングして遊んでいるところです)
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