三重苦ゴルファーの日記

72歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

思い付きだけではダメだった

ゆうぽん

 今日は阿蘇ハイランドの早朝枠を「アプローチの達人」が押えていたのでいたので、いつものように4時30分に自宅を出発して阿蘇を目指しました。

(3日前は冷房を使ったのに、今朝は8℃と冷え込んでいました)

 

 今日は元々が借り切りコンペが入っていたため予約が取れなかったのですが、後に7時半からの5組だけ早朝枠の予約可能になったのはコンペのインスタートの最終組がスタートする9時半頃にアウト7時半スタート組がやって来て折り返す計算だったみたいです。

(トンネル開通を記念して地元の商工会が開催するコンペだと聞いています)


 しかし、我々は1時間で折り返すことになるため7時半にスタートしても8時半にはインへ着くことになり、予約した達人が夜明けと共にスタートしたいと希望し、特別に我々だけ6時半スタートにしてもらっていました。

 そのため、スタート順を表示するディスプレーには我々の後ろは1時間ほど空いて、その間の予約は全て「調整枠」という表示になっているような特殊な扱いでした。


 今日は思い付きでグリップを変更しましたが、飛距離に有効だと思ったのに全く効果が無く、当初は1ラウンドは失敗してもそのグリップでやってみようと思いましたが、あまりに酷かったので諦めて元の普段のグリップに戻そうとしたものの、いったん狂ったものは最後まで元に戻ることはありませんでした。


 その上、使った球(TOUR B X)も合っていなかったようで、自分では同じ球(TOER B

XS)だと思っていましたがよく見ると記号に「S」がなく、一緒に予備球として持ったキャロウェーのCHROME Xと同様にヘッドスピードが落ちた現在の私には合わない球でした。


 最初の思い付きで変えようとしたグリップとは「ベースボールグリップ」で、なぜ変えたかは左手中指の第二関節部分が擦れて出血するためで、最近はバンドエイドを貼っているため問題は無くなっているのですが、達人から「ベースボールグリップだったら擦れない」と言われていたからです。


 しかし私がやってみたのは「ベースボールグリップ」ではなく、「テンフィンガーグリップ」になっていたようで、それはベースボールグリップではしっくりこず、左手親指を右手で包み込んだ方が違和感がなかったからですが、それを私はベースボールグリップだと勘違いしていました。


 やってみた結果は、球が飛ばないしスライスが酷くなるというもので、当初はベースボールグリップ(正確にはテンフィンガーグリップ)は非力な年少者や女性に合うグリップだという知識があり、だったら力が衰えた高齢者にも合うのではと思ったのが発端です。


 ただ勧めた達人もやったけど当たらなくなったと言っていて、私は慣れだから当たらなくても良いはずと思ってチャレンジしましたが、全く飛ばなくなりさすがに2ホールで諦めてしまいます。


 しかし、元のグリップに変えたのに当たらない・飛ばないがそう変わらず、そうなると「力む」という私の悪癖が出始め、ミスを量産することになりました。

(西の空に沈む前の月が浮かんでいました)

 

 今日はあまりにショットが当たらなくなり、途中からほぼ諦めたような内容になったのですが、打ちミスしたと思った球がカップインしたり、トップした球がオンしたりとなぜか後半はスコアが纏まります。


 この辺りがゴルフの天邪鬼風な面で、スコアを纏めたいときはなかなか決まらないパットが、どうでもよい場面で期待していないのにカップインするのは不思議といえば不思議です。


 達人からは「練習場でやってから新しいことはしないと上手く行かない」と言われていましたが、大したラウンドでもなく思いついたらやってみてダメだったら元に戻すでもいいんじゃと思っていました。


 ただそれだと、元の感覚にすぐに戻るはずなのにそうでないことが分かり、安易に思い付きで変えるべきではないのかなと思うようになったものの、私がやってみたかった「ベースボールグリップ」ではなく実際は「テンフィンガーグリップ」だったことが分かり、改めて性懲りもなくチャレンジしたいと考えているのも正直なところなのです。


                               ^^

メインコースの変遷①

ゆうぽん

 今日の熊本は晴れの天気ですが、台風一過で一気に秋がやってくるのかなと思っていたものの、暑くはないけど日中は短パン半袖でも過ごせる一日になりました。


 さて、私がゴルフを最初に始めたのは38歳で転勤した5番目の職場がゴルフコンペが盛んだったためで、貰った古いアイアンセットを持って打ちっぱなし練習3~4回だけでそのコンペに参加したことがきっかけです。

 その初ラウンドは熊本県で最初に開場したといわれる熊本ゴルフ倶楽部で、阿蘇登山道の途中にある山岳コースでした。


 ルールも何もわからず、今思えば無謀なことをしたなと思いますが、同伴者の職場の先輩達に助けられて深い霧の中をラウンドして、正確にスコアを数えられないため同伴者が数えた数字をスコアカードに記入し、そのスコア117が正確かどうかは不明ですが一応初ラウンドのスコアになりました。


 当時は初ラウンドにしては良いスコアだと皆から褒められたものの、自分では良かったという意識は全くなく、思ったように打てなかったことがかなり残念に思っていましたが、このスコアで収まった理由は今思えばドライバーやフェアウェーウッドを全く使用しなかったからです。

 つまりすべてアイアンしか使用せず、ミスショットは数多くあれども狭く難しいコースでOBを打った記憶がないラウンドで、ほとんどが尺取虫のように少しずつグリーンに近づいて行ったという内容でした。


 初ラウンド後は同じように初参加した同僚と一緒に練習場通いを始め、少しずつクラブを買い揃えてゆきましたが、最初にドライバーを振った際の球の飛び方に衝撃を受けたものです。

 一緒に練習していた同僚はソフトボール仲間で私より長距離ヒッターでしたが、ゴルフに関しては私のほうが飛距離が出るため、俄然面白くなりました。


 ただ方向性はスライスが酷く、広い練習場の中央左から正面を狙って打ったのに右のサイドネットに当たるほどの強烈なスライス球が出ていました。

 練習は楽しく徐々に自己流で1人で練習し始め、時々ラウンドに行くのはその同僚と一緒でしたが、当時はキャディー付きだったけどラウンド途中でキャディーがあまりの2人の内容の酷さに怒って職場放棄したことがあったほどです。


 結局、このスライス球がその後もずっと自分の持ち球になったのですが、最初の転機はまじめにゴルフに取り組もうと思った7年後の6回目の転勤で、通勤途上にあった練習場でレッスンを受けたことが始まりでした。


 そのレッスンは5人ほどのグループレッスンでしたが、最初のレッスン生とコーチとの顔合わせでコーチから目標を尋ねられ、何もわからず「パープレー」と答えましたが、その私の答えを聞いたコーチから「だったら厳しく教える」と宣言され、他のレッスン生とは違った扱いをされる羽目になりました。


 今思えばそれが良かったのですが、当時はティーショット後に斜面を降りると怒られるなどプレー以外でも厳しく指導され、他のレッスン生は昼食時にビールを飲んでいても私はダメと言われたりしました。


 他のレッスン生には優しかったのに私のミスショットでは、クラブチョイスが悪いなどと厳しく指摘されたりしましたが、もともとが体育会系の部活を長年経験していたためそこまでイジケたりはせず、他のレッスン生は1クール8回で辞めてゆく中、天草へ転勤になるまで2年半近く続けました。


 レッスンを受け始めてからコーチに「ゴルフ場のメンバー」になることを勧められ、たまたま当時の職場に阿蘇ゴルフ倶楽部(通称「赤水」)のメンバーの先輩がいて「あなたに合うゴルフ場だ」と言われていたため、会員権を取得したいという意欲が湧きました。


 それを事前にコーチに相談すると「赤水は名門で距離はあるけど、あなたは飛ぶからよいかも」と言ってくれ、会員権を購入することになりました。


 赤水でのメンバーとしての初ラウンドは月例に職場の先輩と一緒に参加しましたが、同伴者はシングル2人が一緒で、昼食時に同じテーブルに付いたのにその2人とは全く会話することがなく、食事後に先輩が「シングルは我々みたいな者とは口をきかない」と吐き捨てるように言いましたが、その時はそんなものだと思っていたものの後に私はその2人とは仲良くなったので、単に先輩がコミュニケーション面で問題があったのかもしれません。


 そう思った理由は、先輩は上級者と一緒だと借りてきた猫のようになる性格で、自分が一番上手いと思うと偉ぶる様子が伺え、私は新会員の後輩なので最初は問題ありませんでしたが、HDCPが先輩(HDCP「18」)より良くなってからは一緒にラウンドすることを避けられるようになったからです。


 当時のクラブHDCPは10回のクラブ競技のスコアで決まり、数か月後の最初に貰ったHDCPは「13」でしたが、当時の私は90切りがなかなかできず一度だけ奇跡的に上手くいって85というベストスコアがその10回に含まれていたのです。

 たまたま知り合って仲良くしてくれていた方がHDCP委員だったので、「なぜ13なんですか?」と尋ねたら「85を1枚出していたから、その力量があると判断された」と言われ、なんだか適当だなと思ったものでした。


 これも後で知ったことですが、当時は「11」以上はほぼベストスコアをもとに算出し、80切りをした者は「10」となりますが、「10」から「9」へのシングル入りには70台のスコアが3枚必要となり、二桁HDCPの者には壁が高く簡単になれない運用でした。


 そのため1,000名以上の会員数の中でいわゆる「シングル」は50人に満たず、逆に「10」の者が異様に多かったのですが、最初の月例に参加した際に口をきいてくれなかった「シングル」から後に「10なんて意味ない。悔しかったら早く9になれ!」と叱咤激励されたこともありました。


 当時は毎週日曜に行われるクラブ競技にほぼ皆勤していましたが、HDCPを取得してから職場の先輩から避けられるようになったため1人で参加していて、そのためいろんな方々と知り合いになっていたのは、当時の私が飛距離だけは出ていたため印象が強かったせいだと思っています。


 ラウンドが終わってからも「あなたの飛距離が出せるなら自分だったらアンダーで回れる」とHDCP2の同伴者から皮肉めいたことを言われたこともあるし、たまたまシングル祝いのコンペがあって参加した際に元クラチャンでレッスンプロに転向した方からも「あなたは飛ぶね~」と呆れたように言われたのは、ドラコンホールを2つとも取っていたのにスコアは90近く叩いていたからです。

(赤水にはほかに外輪コースがありますが、アウトは杵島でインは中岳になっています)


 赤水(阿蘇ゴルフ倶楽部)はバックティーから7,100y弱の距離がありましたが、私はフェアウェーウッドは使えなかったので、パー5のセカンドはいつもアイアンの4鉄でした。

 赤水最長のホールは12番(中岳3番)パー4で軽い打ち上げで470y弱ですが、ドライバーが真っ直ぐ当たればアイアンで問題なく届いていたほどで、当時は5鉄で200yという認識でした。


 現在の自分もそうですが、飛距離が出るゴルファーは上手い下手は関係なく印象が残るもので、当時の赤水のメンバーの中では私は飛距離だけは出る者として皆から認識されていたのです。

 その代わり曲がるときは半端なく、12番のコースは左右が広くてOBなど出すのが逆に難しいホールですが、私はよく右にOBを打っていたものです。


 もし、私が赤水ではなくもっと狭いコースをホームコースにしていたらスコアにならなかったはずで、職場の先輩やコーチが「あなたに合うコース」と勧めてくれたのは間違いではなかったのです。

 ただ広い赤水でOBを打つくらい曲がるため他のコースではドライバーは振れず、対外競技に参加するようになった頃はドライバーを封印してティーショットでは5Wを使用していました。 

 それでもきちんと当てれば赤水の410yのスタートホールのセカンドは9鉄もしくはPWを使っていました。


 今では見る影もないほど衰えた飛距離ですが、飛んでいた原因を自分なりに分析すると、学生時代は卓球をしていてパワードライブを打つために毎日自室でビール瓶を持って素振りをしていたので、右下から左上へのスイングスピード(振る力)があったからではと思っています。

 ゴルフの前はテニスにも10年ほど熱中していて、テニスのフォアハンドストロークも卓球のドライブと同じスイングにしていたので、スイングスピードが落ちずにゴルフへ転向できたのでしょう。


 スライスが酷かった原因も同様で、ゴルフは目標に対して横向きに構えますが、卓球やテニスでは半身で構えてスイングのフィニッシュでは正面を向くため、ゴルフでは開きが早くなり結果スライスになりやすいのだと思っています。

 ソフトボールのバッティングで距離が出なかったのも、開いて打つ癖があったためですが、ゴルフの場合は打ってから開くためエネルギーを球に伝えられていたはずです。


 こんな赤水が私の最初のメインとなるホームコースになりました。


(以前の練習動画がありました。上はパット練習で下は自宅庭でアプローチ練習の合間にリフティングして遊んでいるところです)  

                                 ^^

女流棋士から女性棋士へ

ゆうぽん

 今日の熊本は台風30号から変化した温帯低気圧の影響で朝から雨になりましたが、風雨は強くなく、静かな落ち着いた雨になりました。


(正午現在の天気予報。午後から少し風は吹く予報でしたが、16時現在の自宅周辺で雨は止み風はほとんど吹いていません)


 今日は阿蘇ハイランドの早朝ラウンドを予定していましたが、阿蘇も雨の予報だったので昨日のうちに「アプローチの達人」から「明日は中止しましょう」というLineが来て了解したところです。


 さて本日、将棋の西山朋佳女流四冠が東京の将棋会館で記者会見を行い、フリークラス棋士への編入資格を行使する意向を表明しました。

 これにより、史上初めて女性の「棋士」が誕生することになりました。(昇段は来年4月1日付け)


 西山女流のフリークラス棋士への編入資格とは、女流タイトルの「白玲」を通算五期獲得したことで得たものですが、この資格は今年新たに作られた「棋士への道」です。

 

 将棋に詳しくない人も多いと思いますが、簡単に説明すると「棋士」とは日本将棋連盟に所属する四段以上の段位を持つものを指し、各種棋戦で将棋を指して賞金や報酬を得るもので、現役の棋士は藤井聡太六冠(竜王・名人・王位・棋聖・棋王・王将)を頂点に174名が在籍していて、全ての棋士に四段になった時期に応じて棋士番号が付いています。


 ゴルフに例えるとJPGAやJLPGAのような組織が日本将棋連盟であり、その組織に所属して大会等に出場すると賞金が貰えるようなもので、将棋の四段はゴルフでいえばプロテストに合格してプロゴルファーになるみたいなものだと言えます。


 その四段になることがかなり困難で、これまで各地の天才少年少女達が「新進棋士奨励会」(通称「奨励会」)という棋士養成機関に入会し、6級から始まって三段まで昇段し、三段リーグの上位2名が新四段となって晴れて棋士の仲間入りとなるのが一般的な「棋士への道」でした。


 奨励会には退会年齢制限があり、入会者で四段まで辿り着けるのは全体の15%と言われていて、入会時の6級のレベルがアマチュアの都道府県代表レベルの棋力と言われているほどで、三段リーグまで辿り着くのでさえ難しい厳しい道のりです。


 そうした中、「棋士への道」を広げようと2014年から「棋士編入試験制度」が設けられ、アマチュアや女流棋士がこの編入試験を利用して棋士になる道が生まれました。


 ただこの編入試験の受験資格はかなり難易度が高く、アマチュア枠や女流枠で参戦したタイトル戦や一般棋戦で棋士相手に10勝(勝率65%以上)という条件を満たす必要があり、たとえ受験資格を満たしても棋士相手の編入試験では6戦で3勝という条件があるため、これまでこの編入試験を使って棋士になったのは5人中3人で、全て男性という結果になっています。

 その敗退した2人が女流棋士で、福間香奈女流(旧姓「里見」)2回と今回の西山朋佳女流になります。


 ここで「女流棋士」と「棋士」の違いですが、そもそもなるための道筋が異なり、「棋士」はこれまで示した通りですが「女流棋士」は女性だけの組織で日本将棋連盟下以外にもLPSA(日本女子プロ将棋協会)などがあります。

 「女流棋士」になるためには日本将棋連盟「研修会B1」に所属する女性であれば女流2級となれるため、プロ入りの条件は「棋士」とは大きく異なります。


 さきほどの編入試験へ挑戦した女流のトップでも試験を突破できなかったわけですが、「研修会B2」の「研修会」とは「奨励会」へ入会する前に入会するもので、「棋力」と呼ばれる将棋の実力が奨励会の6級レベル辺りの実力だと言われています。


 ただ、西山女流については奨励会三段リーグで「次点」という上位2名に惜しくも入れず、四段昇段を逃した経歴があります。

 2020年の奨励会三段リーグで西山三段は14勝4敗とトップタイの成績を上げましたが、前期の順位が他の2人より低かったため規定により四段昇段ができないことがありました。


 また、棋士編入試験では他の受験者が10勝という資格で受験していますが、2024年の西山女流は13勝を挙げて受験資格を得ていて、編入試験では2勝2敗の最終第5戦まで進みましたが惜しくも敗退したという経歴があり、棋士に最も近づいた女性とも呼ばれています。


 今回の棋士資格は「白玲」という女流タイトルを通算5期獲得で得たものですが、これまで西山女流は通算24期の女流タイトルを獲得をしている実績があります。


 今回は棋士になれたとしても「フリークラス」への編入であり、いわゆる順位戦(C2=四段リーグ)への出場資格はないものの、他の棋戦へは予選を勝ち抜けば出場可能となります。

 当面はフリークラスから順位戦C2へ上れるかがポイントで、フリークラスのままでは10年しか在籍できないため、女性初の「棋士」誕生が単なる話題作りで終わってしまいます。


 フリークラスには四段リーグのC2から落ちてきたベテランも多いものの、若手の俊英が集まる三段リーグでトップタイの成績をとった実績がある西山新四段であれば、きっと順位戦まで勝ち上がれると信じています。


                               ^^