三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

出会った人々と昔の思い出

 今日は晴天の水曜日ですが、今日はラウンド予定は入れていません。その理由は、今日は菊南温泉ユウベルホテルで温泉に入りに行くためです。
 最近はゴルフより温泉の方に志向が向いていますが、のんびり温泉に浸かり食事をすることは至福の時間だといえます。


 さて、月・火と阿蘇五岳ホテルに1泊し、阿蘇やまなみと阿蘇ハイランドの2か所でラウンドしましたが、その期間中にお二人の方と親しく会話する機会がありました。


 1人は、昨日2日目の阿蘇ハイランドで同伴者になった70歳代の方で、スタート前は「我が道を行く」タイプかなとちょっと心配していましたが、話をすると良さげな人でした。


 折り返しの10番で、飲み物を自販機で購入する際にスコアカードホルダーを使えるか尋ねられ、使えないと答えると「小銭がないから貸してもらえないか?」とお願いされましたが、私も達人も持ち合わせがなかったのです。


 それで、私が2本持っていたペットボトルの紅茶飲料を「これでいいなら」と渡すと喜ばれ、終わってから料金を払うと言われましたが、大した値段ではなかったため私は固辞しました。


 ラウンド終了後、私はキャディーバッグを車に乗せてから温泉に行きましたが、脱衣所にその方が1人だけがいて、帽子を取った雰囲気が違い、恐る恐る「一緒だった人ですよね?」と声をかけると、その方も「バッグを乗せてたからもう帰ったと思ってた」と言われ、その後に露天風呂でいろいろ会話をして長湯してしまいます。


 大阪在住の方で自営業だったようですが、今年70歳になったのを機に息子さんに事業を譲り、普段は奥様と旅行されるそうですが、今回は1人で車を運転して往路は大阪から関門橋を通って九州に渡り、明日は鹿児島の指宿温泉に行き、復路は宮崎を経由して大分からフェリーで四国に渡り本四連絡橋を渡って帰るそうです。


 駐車場で帰りに車を拝見しましたが、大阪ナンバーのフェアレディーZで、70歳にしてはなかなか派手目な車でした。


 運転が大好きで、今回の長距離ドライブも苦にならないと言っていて、仕事を辞めたから残りの人生を好きなことをして楽しむという姿勢に共感を得たものです。
 私が60歳の定年退職後は、仕事には就かず、いくつかある趣味の中でゴルフだけに決め、年間150ランドペースでラウンドしていると話すと、人生を楽しんでいるんだと驚かれました。


 私は、我々の年代は健康上いつどうなるか分からず、先に延ばさず出来ることはすぐやることにしていると話すと、「確かに」と納得されていました。
 ゴルフもプロから教わった腰に負担がかかりにくい、自称「デシャンポースイング」のやり方を伝え、考え方を柔軟にしていろいろやってみては?とアドバイスしました。


 2人目は、阿蘇五岳ホテルの温泉で一緒になった方で、私がエレベーターで1階の温泉に行こうと乗ると、同じ階から出来てた男性がいたので扉を締めずに待っていました。
 その男性は、同じように温泉に行きましたが、様子を見るだけで中には入らず戻ったのでなんだろうと不思議に思っていました。


 後で気づいたのが、このホテルの温泉は新型コロナ対策のため「4人まで」という制限があり、混雑しているか確認に来ていたのだと分かりました。


 私が湯舟に浸かっていたら、すぐに男性2人が入って来たので私は隅っこに移動すると、しばらくしてから老人から「どちらからですか?」と声をかけられ、「熊本市内です。どちらからですか?」と尋ねると長崎から来た観光客のようでした。


 老人は私と反対側にいる男性を見ながら「息子が車で連れて来てくれました。私は以前に阿蘇には何度か来たことがあり、阿蘇ホテル一番館を利用していたけど今回は満員だったので、このホテルを息子が取ってくれました」と五岳ホテルに泊まった理由を話されました。


 この老人とは話をしばらくしていましたが先に出ていかれ、息子の方と2人だけになり、私が「親孝行されるなんて偉いですね~」と声をかけ、そこからまた会話が始まりました。


 一見するとアラフォーの髭面で怖そうなタイプで、失礼な表現ではチンピラ風でしたが、話してみると優しい話しぶりで、両親を連れて来られた心根が話し方で良く分かりました。
 今回は、有給が連続で取れたので両親を連れて阿蘇に観光に来たと言っていて、最初にエレベータに乗って風呂に来たのは両親のために風呂の様子を確認に来たためでした。


 父親が「ホテル一番館」に何度か泊まったことがあると言っていたことから、懐かしい地を訪れる旅を計画したようで、親孝行だなと感心したものです。


 ゴールデンウィーク後に連続の有給が取れた理由は、長崎にある世界遺産になった軍艦島などを巡る観光船に乗っている方で、連休中は忙しくて休めなかったためです。
 北海道の知床の観光船の事故の話題になり、運航する基準がいくつかあり、それがクリアできないと出航できないのにと言っていて、私も同じような判断をする時期があったため話がより盛り上がった部分がありました。


 私が2年だけ勤務した社会教育施設は、「マリン活動」といって主にカッター船やペーロン船の乗船研修を売りにしていたため、風力計で風速〇m以上は研修中止という基準があり、それを守らせる立場だったのです。


 利用者は小・中・高の児童生徒が主でしたが、引率の先生たちからは、せっかく来て中止になると忍びないという声も聞こえていましたが、基準を守ることが安全を守ることだと言っていました。


 場合によっては、波が少ない防波堤で囲まれた湾内だけでの体験に切り替えることはありましたが、それも風速〇m以内という基準によるもので、恣意的に判断するものではなかったのです。


 その男性はアトピーなので温泉療法が効果的と言っていて、長崎の温泉は雲仙など少ないけど熊本は多いからいいですねと褒められ、私は私で学生時代は長崎県内の大学だったので、長崎市内に行く機会もあり、長崎県内もいろんな場所に行っていて親近感があったのです。


 温泉の中でのほんの一時のことでしたが、見た目では分からない親孝行な男性を見て、ほっこりする気持ちになれた時間でした。


 男性と話したことで、以前の「マリン活動」の様子を思い出し、過去に写したものを紹介してみます。
 これは私が「あしきた」から転出後に、北高ソフトボール部の生徒を連れて2泊3日のミニ合宿は行った様子で、グランドで練習する以外にも天気が良かったためマリン活動を体験させました。


(画面奥の丘の上にあるのが「あしきた青少年の家」の本館です)


 この写真は、合宿中の日程の中に希望して実施してもらったカッター船の研修風景です。


 最初に陸上で基本の動きやかけ声のルールをみっちり説明し、その後にやっとボートに乗り込みますが、すぐには漕ぎださず、指導員がかけ声に合わせて動作の基本を徹底させます。
 この指導だけで小一時間はあるもので、ボート乗船は未体験者が多い子どもたちなので、安全管理は徹底していました。 

(船尾で立っているのがこの時はかじ取り役の指導職員ですが、研修者が行う場合もあります。かじ取り役の前に座っている2人は漕ぐピッチの声出し役とそれに合わせてドラを叩く役です。カッター船の漕ぎ手は後ろ向きに座り、ドラの音に合わせて櫓を漕ぎますが、疲れてくると揃わなくなります)

(漕ぎ方に慣れてくると、他の艇と競争をします。人数が少ないのに2艇に分かれたのは競争をするためで、勝負になると負けまいと皆が真剣に櫓を漕ぎだします)

 各艇に乗船する指導職員以外にも、遊撃用のボートで支援する職員もいて安全管理を徹底します。
 左手前のゴムボートがそれで、状況に応じて舳先を押して進行方向を変えたり、逆風で前に進まない時は後方から船尾を押すなどの補助もします。


 この時は2艇に分かれたため20人乗りの1艇当たりの生徒数が少なく、漕ぎ手が少数になり生徒は大変でしたが、それもトレーニングの一環だから少しくらいバテさせる距離を漕がせてと私が勝手に指導職員に要望していました。


 私も在職中に小型船舶二級免許を取得し、人手が足りない場合は主にゴムボートに乗って補助業務を行っていましたが、マリン活動で海に出ることは普段は事務所内だけの勤務だったので良い気晴らしになっていました。


 カッター船5艇とペーロン船5艇が全て出航すると、指導船は小型艇1艇が出て、別に遊撃用ゴムボート3艇それに水上バイク1艇が当時は出ていましたが、まだそれらの船は現役なのでしょうか。