三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

ゴルフスイングの基本

このブログは自分のための記録であり、ここで書くことは自分に当てはまるものと思われることだけです。
だから読んで、「それは違うよ」という意見もあるかもですが、そこは最初にお断りしておきます。


最初にクラブを握って20年ですが、本気で取り組んだのが17年前になります。それからいろんなゴルフ雑誌を読み漁り、最近はネットでいろんなゴルフスイングの記事や動画を見て参考にしてますが、いろんな人がいろんな表現で言っていることは結局は同じことなのではと思ってしまいます。


ゴルフはルール上14本のクラブを使用できますが、ドライバーとパターは長さも機能も全く違い、同じようなスイングはできないはずです。
でも、ドライバーとパター、そこには同じスイング上の注意点があると思っています。


それは頭の動きです。昔から「ビハインド・ザ・ボール」と言われますが、頭をスイング中に動かすことがミスの根本的原因になるようです。


ドライバーのような大きなスイングでは、それ以外の要素も入ってくるので頭を動かさないことだけではナイスショットは打てません。
しかし、頭を動かすスイングではいくら練習しても球が曲がる原因となるため、いわば脆い土台の上に立てようとする家であり、強いスイングをできるようになればなるほどミスが激増してしまいます。


頭を動かさないことがどんなに大事なことかは、パターでのパットを考えてみればよく分かるはずです。
朝の練習グリーンでいろんな人のパットを見ていると、ローハンディの人とハイハンディーの人のパットの打ち方には、必ずそれぞれの共通点があります。
ローハンディーの方のロングパットは、バックスイング、そしてダウンスイングまでは手が頭の後ろですが、ヒットしてからフォロースルーでは手がカップ側にあり、頭自体は最初から最後まで同じ位置にあるということです。


ハイハンディの人のパットは、ヒットまでは同じようなものですが、ヒットした後に手と一緒に頭がカップ側に動いてしまいます。
これではバックスイングで貯めたヘッドのエネルギーがボールに伝わる瞬間に頭が動くことで弱められ、イメージした距離が打てないことになります。


しかし、1mほどの短いパットではローハンディの人でも無意識に頭が動く、つまりカップを見てしまうことがあります。
そのため、微妙はフェース面の狂いが生じ、押し出しや引っ掛けのミスが出やすい状態になります。


つまり、小さなショットでも頭を動かすことでイメージ通りに打てないのだから、ドライバーのような大きなショットでは間違いなく頭が動く結果はいろんなミスが出てしまいます。


また「ビハインド・ザ・ボール」をキープできないと、ヘッドスピードをインパクト時から軽減する動きになるため、飛距離は出ません。
ジュニアの子どもたちが極端に頭を残したスイングをするのは、小さな身体で飛距離を出す方法がそれしかないからです。
自分のようなおじさんにジュニアと同じようなスイングをすることは、身体の柔軟性からまず無理であり、真似をすればいろんな箇所に故障を引き起こします。
しかし、インパクトの瞬間まででも頭を残しておこうという感覚でも十分役に立つのです。


しかし、ここで困ったことが起こります。脳は「こうありたい」と思うとその状態を錯覚させてしまうことがあります。


車を運転していてこんな経験はありませんか?
前方に右折車両がいて、その後ろでスピードを調整し、前車の右折に合わせて自分の車が抜けると思って前進したら、急に前車が止まっていて危うく追突しそうになったことを。


野球などをやった経験がある方は、ゴロをエラーしないようにしっかり見て捕球したはずなのに、弾いて捕球できなかったことを。


これらは脳が「こうありたい」と思ったことをそう予想して、現実とは違うことを見せてしまうことだと思っています。


ゴルフのスイング中も頭を残していたいと思っただけでは、実際は頭が残っていないのに自分の中ではしっかりボールを見てスイングした気分になっています。
脳がいたずらして、見ていないインパクトの瞬間の幻影を見させているケースがあるのだと思っています。
幻影を見ることを防ぐためには、ショットの際にボールを打った後でも地面を見続けるような訓練が必要になります。
練習場で打った後も、頭を上げない練習をすることは役立つ練習だと思います。もっともこれでは飛距離はでないのですが、まず基礎として取り組んだ方が良いのではと思います。


パットでも「カップインの音は左耳で聞け」(右打ちの場合)と言われるように打った後も結果を見ないと言う練習は効果的です。


そうした基本の上で、ショットの練習をすることが上達への近道だと思っています。