三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

「シングル」への道

 記憶力アップがゴルフ上達に欠かせないという内容の日記を先に書きましたが、それに併せて過去の自分が書いていたブログを思い出し、改めて書いてみます。


 当時はホームコースでいわゆる「シングル」を目指している頃で、どうすれば最小限の努力で効率的に上手くなれるかを模索していました。 
 その頃は天草に単身赴任していた頃で、仕事終わりは遅かったものの、夜や休日には時間がたっぷりあり、ゴルフの練習をする時間には事欠きませんでした。

(本渡市(現天草市)のグリーンパークゴルフ練習場は現在は無くなっているようです)

(建物やネットなどは無く、新しい橋の工事に関係して無くなったのかもしれません)


 当時住んでいた本渡市(現在は天草市)にはゴルフの打ちっ放し練習場は1か所しかなく、打ち放題ではなく入場料+1枚いくらのコイン方式の練習場でした。
 仕事終わりに毎日行っていたのですが、まず1枚のコインで50球の球を籠に入れて、バンカー練習場に行き、誰も居なければネットに向かって草むらからショット練習を行い、もちろんバンカーからも打ってから球を回収する練習を1時間半ほど行い、それから打席に戻ってその50球を打つという練習日課でした。


 実は練習場に行く前に職場の玄関前で素振りしたり、渡り廊下のマットの上でパター練習したりと、最後に警備員と引継ぎするまで勤務終了後の時間もゴルフ練習に使っていました。

 たまたま職場が周りに人家が一軒もない、道路から川を渡って山肌の袋小路になった目立たない場所にあったことも幸いしていたし、職員も17時以降になると誰もいなくなるような職場だったこともゴルフ練習ができた理由です。
 日が長い夏の時期にはグランドで4~50yのアプローチ練習もしていて、今では許され無いことだとは思いますが、当時は比較的のんびりした環境だったのです。


 それなりに練習はしていたと思いますが、練習以外でも簡単に上手くなる方法が何かないかといろいろ考えました。
 日曜日の日記で「逆もまた真なり」

と書きましたが、技術力以外で上級者に共通するものを探し、それを実践するようにしたのです。


 記憶力アップのためにメモをとることも同様の意味からでしたが、それ以外にも次のようなことを実践しました。


① 上級者のほとんどはコースへの配慮があるように感じたので、マイ砂袋と小さなスコップを購入し、ラウンドの際はティー横にある砂を入れて携行するようにしました。
 グリーン上では自分の作ったピッチマーク以外も修復するように努めました。


② 上級者がゴルフ場へは早目に来て練習していたので、最低でも1時間前に着くようにしました。
 特にパット練習はラウンド後も居残って、誰もいないグリーン上に3つの練習用ピンを立て、ゲーム感覚でロングパットを2つで終える練習を繰り返しました。


③ 同伴者の邪魔になるような位置には立たないなど、ラウンド中に同伴者との位置関係に気を配るようにしました。


④ 上級者のキャディーバックにはフードが付けてないと聞いたので、私もさっそくフードを取り外しました。(効果があるのか不明ですが、現在も付けてはいません)


⑤ 当時はキャディー付きのラウンドでしたが、カップインした後などは積極的にピンを持つようにしてキャディーに次の業務へ向かってもらいました。


 これらのことがどれだけ役立ったかは分かりませんが、ブログを書き始めて数か月でやっと所属コースのクラブ競技で「3か月以内で3枚の70台スコア提出」という条件をクリアし、ハンディキャップ委員長とのシングル査定ラウンドを経て、晴れて「9」というハンディになりました。


 平成4年10月の初ラウンドから12年、初のHDCPを取得してからだと3年余りという歩みでしたが、当時のHDCPは現在とは違い「10」から「9」へは高い壁があり、「10」で足踏みするメンバーも数多くいて、当時の研修会メンバー(現研修会長)から「ハンディ10は屑だ!悔しかったらシングルに上がれ!」と面と向かって罵倒気味の喝を入れられたこともありました。


 結局、念願だった「シングル」の仲間入りを果たし、その後は順調に8から6まで減らしたものの、イップスからスランプに陥ってしまいます。
 今度はその数字のプレッシャーに苦しむようになり、HDCPに見合ったスコアが出せず、当時は「9」以下の「シングル」は本人が了承しなければ「9」になることはあっても「10」になることはなく、その制度にも疑問を持っていました。


 だんだんと「シングル」という肩書が重荷になり、ゴルフそのものが辛くなり、ついにはゴルフから逃げ出してしまったのです。
 数年間のブランクを経て、退職後に「お気楽ゴルファー」として復活したのですが、それでもスコアに拘るゴルフしかできず、イップスの克服は出来ませんでした。


 イップスは心の病であり、単なる数字であるスコアに拘り過ぎるから反動が来るわけで、スコアにはできるだけ拘らず、目標を当分は達成できない「エージシュート」に置き、「できなくて当たり前」と思いながらラウンド自体を楽しんでいましたが、妙にスコアが纏まると以前のような「欲」が生まれてしまい、それに合わせて自分の中の嫌な面も出てきてしまいます。


 先日の阿蘇大津GCの後半の崩れ方も、同伴者の動向に理由を求めてしまうことになり、朝からその内容の日記を書いてしまいましたが、読み返して「以前の自分がいる」と反省し、新たに「下書き」にあったこの日記を書き足してアップすることにしたのは、「昔の自分を思い出せ!」という自責の念があったからです。


 危うく、以前と同じ状況に陥るところでしたが、歳はとっても進歩がない自分がいるようです。