三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

カテーテル治療は無事に終わる

 今日は10時に済生会病院に入院して、前措置などを経て、11時45分になってから車椅子で一階の手術室に連れて行かれました。


 歩いてでも行けたのですが、左手に点滴をしていたので、それを持って担当の看護師さんに車椅子を押してもらい、専用のエレベーターを使って向かいました。


 手術室の前扉を開けて入り、そこで青いビニール製のキャップを被されます。
 もう一つのドアが開き、室内に入ると何人ものスタッフが待ち構えて、挨拶されました。


 担当の医師もやってきて、挨拶があり、私はただお任せするしかなく、よろしくお願いしますと頭を下げるだけでした。


 細長い手術台の上に階段2段を使って上がり、横になると点滴中の左腕に血圧測定用のバンドが巻かれ、左腕親指には血中濃度測定の機械が取り付けられます。
 看護師が念の為にと言いながら、失禁用の尿パッドを下半身に嵌められてしまいます。


 12時前から処置が始まり、担当医師から「これから麻酔用の注射をしますが少し痛みます」と言われたけど、手術台に仰向けになり目の前には大きな機械が被さっているので、様子は全く見えません。


 右手首に針を刺す痛みがあり、徐々に麻酔で腕の感覚が無くなっていきました。
 「これからカテーテル用の穴を開けて差し込みます」と言われましたが、少し痛みがあったものの感覚がほぼ麻痺しているので何をされてるのかは分かりませんでした。


 ただカテーテル挿入時には何か差し込まれてるという僅かな感じはしていて、胸辺りもカテーテルが来たという予想は出来るものでした。


 時々、右手に僅かな痛みは出ますが、我慢は出来るもので、どれくらいかかるのかなという心配はしていました。


 最初は検査用のカテーテルで狭窄した血管を確認したようで、医師から「これから治療用のカテーテルで治療を開始します」と言われ、事前に説明を聞いていた私はただ「はい」答える程度でした。


 その後は、医師たちが35とか32とか話す声は聞こえてきましたが、それは血管へ嵌めるステントのサイズだったのかも知れません。


 ステント治療自体は検査と同じような感じでしたが、一度だけ医師から「胸の痛みが出てませんか?」と言われ、狭心症の症状みたいな気配は確かにありました。


 しばらくして「無事に終わりました」と医師の声が聞こえ、右手を処置する感覚はあり、私自身はホッと安堵感があったものです。


 5分ほど経って、看護師から促され、手を添えられて手術台から車椅子に戻るときに壁時計を見ると、12時45分だったので約1時間ほどの所要時間だったようです。


 それまで寝ていた手術台はかなり細長く、上部にはモニターが計10台ほどあり、さまざまなコードが下の方で繋がっていました。


 手術中に目の前に被さっていた機械は、X線用の機器だったのか、まるでバスケットボールの移動式ゴールのほどの大きさでした。
 上部が動くようで、その時は上に上がっていましたが、手術時は覆いかぶさるようになっていて、それを移動させて必要な部位の撮影をしていたのでしょう。
 カテーテルの様子はその機械でモニターしていたようで、事前説明でもありましたが、以前は冠動脈バイパス手術という開胸する外科手術になっていたものが、カテーテル治療を出来ることで身体への負担は劇的に軽減されていたのです。


(カテーテルを挿入した右手首の傷は、しばらく圧迫して血止めされています)


(割と大きな穴が開いてました)


 車椅子で部屋に戻ると担当医師がやってきて、プリントアウトした画像の用紙を見せながら「この部分にステントが入ってます。たぶんこれで症状は無くなりゴルフもこれまで通りにやれます」と言ってくれました。


(治療前の冠動脈。枝分かれした直ぐの部分が細くなっています)

(赤い線の部分にステントを入れたので、細い部分が太くなっています)


 事前に合併症のリスクなども医師からの伝えられていますが、今のところ問題は無さそうで予定通り明日10時には退院になりそうです。


 私にとっての初めての入院でしたが、順調に治療が終わり、またこれまで通りの生活に戻れそうです。
 ご心配をおかけしました。

済生会病院に来た

 台風12号が発生し、11号と同じようなルートで北上する予報が出ていて、しばらくは動向に目が離せない状況です。
 9月から10月にかけては台風が九州に接近する時期ですが、私の中で記憶に残る最大の台風は、通称「リンゴ台風」と呼ばれた平成3年の19号です。


 19号は平成3年9月27日に長崎県佐世保市付近に上陸しましたが、その時の中心気圧は940hPaと猛烈で、ちょうど夕方の時期でもあり、台風の目が南から西の空に向けて移動するのがはっきり分かるものでした。


 周囲の家の瓦が、紙切れのように真横に飛ぶ様子が目撃され、我が家の敷地内にあった電柱も傾いたほどで、県内の電柱が同じように軒並み倒れて長期間の停電が発生しました。
 それまで正直なところ台風の怖さはそこまで感じていませんでしたが、19号台風で我が家の屋根瓦が吹き飛び、結果的に現在の家を新築することになったものです。


 この年は、2週間ほど前にも台風17号が19号と同じようなルートで来ていて、17号は9月14日に長崎市に上陸した際は955hPaというものでした。
 この台風で、我が家の目の前の家の瓦が飛んだのですが、その修理が終わったのにも関わらず再度19号で被害を受けたことが印象深いものでした。


 19号での瓦被害の際は、青いビニールシートを屋根に上って張りましたが、周りを見るとそんな人が至る所で見られ、いわゆる仲間意識が起こったものです。



 ここまでは自宅のパソコンで日記を書きましたが、今は済生会病院の病室に入ってます。

 9時半前に病院に到着し、入院受付で手続き後に西棟4階に上がり、前準備が始まりました。

 

 まず医師からの今回の治療リスクなどについて説明があり、同意書にサインして病室に案内され、早速採血と点滴が始まりました。



 カテーテルは右手首の動脈から入れるようで、痛み止めのテープが貼られています。



 まもなく、治療開始になるかも知れず、とりあえずこの続きは終わってから書きます。

明日は入院

 今日の熊本は朝方は肌寒いほどの気温になっていて、熊本では「隋兵寒合」と昔から言われる夏から秋へ向かう季節の移り変わりの時期ですが、私は「寒夜」だと思っていましたが、ネットで調べると「寒合」と当てられています。
 ※ 「隋兵寒合」の意味・・・藤崎宮秋の大祭(9月中旬)の頃、急に気温が下がり秋の気配が濃くなること


 私は明日から済生会病院に、狭心症の検査と治療のため1泊ですが入院する予定で、今日は午前中に新型コロナ感染のPCR検査のための検体(唾液)を持って行きました。
 実はこれまでも済生会病院でのCT検査などの際は、二度ほどPCR検査は受けていますが、今回は入院棟へ入るため、事前の検査は必須だったようです。


 明日は午前10時に済生会病院に出向き、説明などをうけたのち、心臓カテーテル検査を行い、その検査の結果次第ですが、そのままカテーテル治療になる予定です。


      

(カテーテル治療のイメージ。カテーテル先端のバルーンで狭窄した血管内を広げる)


 右手首の動脈から心臓の冠動脈まで2ミリほどの検査用のカテーテルを挿入し、先端から造影剤を血管内に注入して、X線撮影し、狭窄した箇所を特定します。


 その後、治療に移行することになれば、先端にバルーンが付いた治療用カテーテルに差し替え、患部まで挿入してバルーンを膨らませて血管を広げ、事前にバルーンに装着していた「ステント」と呼ばれる金属製の網目模様の筒を併せて膨らませ、血管の内側に装着するものです。      

    


 カテーテルを使ったものは、内科的治療に当たるため手術とは呼ばれず治療と呼ばれるようで、今回も「検査の結果で治療に移行することになります」と説明されてます。


 冠動脈疾患には、他に胸を切開する「冠動脈バイパス術」もあり、こちらは身体的負担が大きいものです。
 もし、カテーテル治療の際に不測の事態が発生すれば、すぐに手術に移行するようですが、そのリスクはかなり低いと説明されました。


 入院は明日の夜一泊だけで、順調なら土曜日の朝10時には退院となると説明を受けていて、無事に何事もなく終わって退院できることを望んでいます。
 入院にはWi-Fiが病室まで届くのか不明で、わざわざ荷物になるパソコンは持って行かないようにしているので、明日の日記はアップできないかもしれません。


 その代わり、治療の様子などを退院後にアップしようと思いますが、さすがに手術室にスマホを持って入るわけにもいかず、記憶頼りになりそうですが、麻酔自体は局所麻酔であっても反応を鈍らせる処置も行われるようで、ほぼ記憶にないままに終わってしまいそうです。