三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

なぜマスコミは自己検証をしないの?

大津市の交通死亡事故に関して被害者の園児が通う保育園の会見を見て、マスコミの対応に嫌な気分を覚え、一昨日この日記に書いたところです。


私は普段はCS放送でゴルフ関連番組やマージャン関連番組程度しか見ませんが、昨日から今日にかけては地上波のニュースや情報番組を時々見ていました。


それに併せて、ネットで関連の記事や意見も読んでみました。


今回は、被害者側であろうと思われる保育園側に対し、まるで加害者側かと勘違いしているかような無意味な質問を浴びせている「無能」な記者たちへの批判が集中したことが発端です。


園児が被害にあった悲惨な交通事故に関しては、ここでは取り上げません。それは別な問題であり、一緒に論じると論点がぼやけてしまうからです。


記者会見を見た多くの国民(ネット民という一部の者というのがマスコミの捉え方のようですが)が感じたことは、この会見だけに止まらない、マスコミの「正義感を振りかざした卑しさ」にあるのだと思います。


自分が所属する媒体の売り上げを考えた行動なのに、さも「国民のため、国民の知る権利のため」代弁しているかような態度に、ほとんどの視聴者が違和感を覚えたわけです。


日本国憲法 21条の保障する表現の自由の中に「報道の自由」があることには、私も異論はありません。
しかし、だからといって報道(今回の件が「報道」と呼べるか疑問ですが)に携わる記者たちに何をやっても許されるという「免罪符」を国民が与えていることはないはずです。


思えば、テレビのワイドショーでタレントがレポーターになり、取材と称するそれ自体をショー化した頃から、報道に携わる記者たちの劣化も始まったのかもしれません。
タレントと同じような手法を使うことが、当たり前と勘違いしているようです。


この辺りは、本来は記者が所属している会社が、しっかり教育するべき問題だと思いますが、視聴率や発行部数という利益優先主義に走った結果、タレントを使ったワイドショーのような面白い「絵」を記者に求める傾向にあるのではと危惧しています。


今回、これだけの批判が出てきたことを、マスコミ側は真摯に反省するべきだと思いますが、少なくとも私が見た報道関連番組やマスコミ側のネット記事には、そうした「反省」の論点は皆無です。


ネットに挙げられている質問をした記者の所属である媒体上には、現在までには何も検証をしたものはないようですが、それ以外の媒体でも「反感を買った質問をしたのは他社の記者だから、自分のところでは何も言えない。」というスタンスであるのであれば、それは虐めを傍観している者と同じだと気づかないことが問題なのです。


「報道の自由」を声高に主張するのであるなら、こうした他社の行動を非難する記事を書いても良いはずで、それができないのは、そこに「同業者」とか「いつか我が身」という意識が垣間見え、ますます「卑しさ」を感じてしまうのは私だけでしょうか?


少なくとも「他山の石」として、「今回のことを受けて我が社は検証を行い、取材における倫理規定を今一度見直します。」などと宣言する社があれば、国民から不要だと思われてしまったマスコミの存在意義を少しは認めてもらえるのではと感じています。


マスコミ業界は、世の中の変遷に付いてこれていない実態が垣間見え、時代のニーズに沿わない産業は長続きしないことになるはずで、すでにその入り口の中に入ってしまっている危機感を持つべきです。


ネットのコメント欄は多くの意見が上がっているのに、テレビなどでは一切触れない点にも怖さを感じます。
こうした偏向した出来事が最近は多く、ネットでの話題がテレビ上では無視される傾向は、いろんな利害関係者に忖度するマスコミの弱点を如実に表しています。


国民がSNSだけの情報に頼り、マスコミによる地道な取材に基づく報道にもかかわらず、信頼できなくなって真実を知ろうとする意識がなくなってしまえば、本当の意味での民主主義の危機になります。
「マスゴミ」は不要ですが、「マスコミ」は本当は必要な存在なのです。だからこそ、報道に携わる現場の記者たちの倫理観は重要で、それなくしては国民の支持は得られないのだと思います。