三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

私のリベンジ

 今日の熊本は午前中は快晴でしたが、午後になると雲が広がり始めましたが、雨になることは無さそうです。


 さて、表題の「リベンジ」とは本来の意味での「復讐」ではなく、俗語としての「再挑戦」的な意味で使っていることを先に断っておきます。


 私は来年にはデスクトップパソコンを自作しようと計画していますが、自作パソコン制作なんてわざわざ公表するまでもない、人によってはプラモデルを作る程度の簡単な作業になります。
 それは、自作パソコンが単にパーツを購入して組み立てるだけで、一般の人が思っているような、例えば部品を手作りするような作業は全くないからです。



 基本的に自作パソコンでは、パーツの選択が重要になり、それはCPUだったりグラボだったりですが、そこさえ決まればCPUが乗せられるマザボ(マザーボードという既製品)を選び、CPUクーラーやメモリ・電源、ストレージを部品ごとに選定し、最後はパソコンケースを選んで内部で組み立てていくだけです。


 パソコンの部品は電気製品なので、各パーツを決められたコードで正しく繋ぎさえすれば、小学生でも作れるもので、一般の方がイメージするような敷居が高いものでは全くないのです。


 もっとも家電店でパソコンを買うとセットアップまでお店側でしてくれますが、自作だとWindowsを別に購入してインストールする作業は必須になり、それらを踏まえると面倒だとイメージされそうですが、手順を追って行えば誰でもできるものです。


 これは私の特性ですが、小さいころからプラモデル作りなどは大好きだったものの、説明書を読んで地道に作り上げることは苦手でした。
 また「小学〇年生」という月刊誌に付録として付いてくる紙製の工作物もうまく作れず、何度も途中で投げ出した記憶があります。


 私は印刷物の文字を最初から順番に読まずに、全体を画像のように捉えて意味を理解する傾向があることに気づきました。
 自分の中で当たり前と思っていることが他人と違うのだと気づくことは稀ですが、これは子どもの頃に友達と一緒に漫画本を読んでいると、私だけが異様に早く読み終えることに不思議に思っていたことから気づいたことです。


 今でこそ速読法などというテクニックの一つだと分かりますが、この私の読み方には欠点がありました。
 それは組み立て説明書など、紙面に立体的なことを書いてあると理解しがたいという点で、だからプラモデルなどを完成させることが苦手だったのです。


 今でも、例えば組み立て家具が送られてきて、それを説明書を見て組み上げるのはいまいち苦手で、ほとんどは「勘」に頼って作ってしまい、終わってから部品の取り付けが逆だったという間違いは良くあることです。


 説明書の紙面の文字を一字一句、順に読んでいけば理解できるはずですが、私の視線はまるで紙面をスキャンするかのように動き回り、大まかに意味は理解できるものの二次元の絵を三次元に変換することだけがどうしてもできません。


 こうした特性(あえて「欠点」でなく「特性」と書きます)は本人が気づかないままでいることも多いのではと思っていて、たぶんその特性がない人からは理解しがたいものだということです。


 世の中にはいろんな特性の人が存在していることを前提にしないと、相互理解は進みません。
 例が適切かどうかは分かりませんが、脚が不自由な方に「人は歩く生き物だから」という考えで「歩け!」と強要してもそれは無理なことです。


 肢体不自由者はある程度は見た目で分かりますが、そうでない障碍者は分かりづらいものです。
 以前勤めていた知的障碍者の養護学校(現在は「支援学校」といいます)の保護者と話をした際に「うちの子の障害が肢体不自由だったらどんなに良かったことか」と打ち明けられたことがあり、多動などの障害は「親の躾が悪い」と周囲から非難されがちで、それは見た目だけで判断できない内なる障害だからです。


 それらも含めて、個々人の特性だと全ての人が理解してくれればよいのですが、世の中はそう甘くはなく、こんなことを書くと「異端者だ」と罵詈雑言を浴びせてくる人もいますが、そうした人もきっと精神のどこかに歪みを持つ特性があるのでしょう。


 話がかなり脱線しましたが、私のパソコン作りは小さいころに最後まで作れなかった工作のリベンジとして取り組むためのもので、説明書を事前にしっかり読み込み、二次元を三次元に変換して考えられるように、それまである程度の理解だけはしておこうという考えなのです。