ゴルフの楽しさとはうわべの楽しみではない
1983年に発売された山下達郎の「クリスマス・イブ」の歌詞中では「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」とありましたが、今朝の熊本は雪に変わらない小雨が降るクリスマスの朝を迎えています。
クリスマスになると今年も残り一週間になり2022年も終わってしまいますが、新しい年もこれまで同様に無事にラウンドできればと祈らずにはおられません。
さて、アマチュアゴルファーが勘違いしている部分が「ゴルフを楽しむ」という意味で、一般的なアベレージゴルファーはラウンド中に楽しみを求めるからスコアメークが出来ないことになってしまいます。
先日の1人予約のラウンドで、同伴者が「『エンジョイ派』だと書いているのに、真面目にラウンドしていた」と過去に1人予約で一緒になった同伴者を揶揄していましたが、この方がまさしく勘違いゴルファーだったもので、仲間内でのワイワイガヤガヤのラウンドを「楽しい」と思っているようでした。
そんな楽しさだったら、ゴルフなどせずに仲間と一緒に飲みに行ったり旅行に行ったりすればよく、そんな楽しさを求めるために一日使って割高な料金のゴルフをする必要などないものです。
結局、ゴルフの本来の楽しさを知らないわけで、ある意味ゴルフの楽しさを分かっていない可哀そうな人だということですが、この本来のゴルフの楽しさを知らない(忘れている)人がたくさんいるようです。
思い出してください、あなたが100切りを初めて達成した日を、もしくはベストスコアを更新できた日を。
そのときに「何ものにも代え難い」気持ちを感じたはずです。それは達成感であり、将来への自分のゴルフへの期待感でもあったはずです。
それがゴルフの楽しさであり、決してラウンド中にワイワイガヤガヤと駄弁って同伴者と交流することではないものです。
つまり、ゴルフの楽しさを味わうことが出来るのは、そうした偶々ある好スコアの時だけであり、ほとんどのラウンドでは挫折感や屈辱感を味わうことになってしまいます。
それでも、それらに負けずにベストスコア更新を目指すチャレンジ精神があるからまたゴルフに来ているはずで、だからスタート前は期待感でワクワクするもので、決して同伴者と楽しく交流するからワクワクしているものではないはずです。
10回ラウンドしても「楽しさ」を味わえるのは1回あるかないかであり、残りの大半のラウンドでは挫折感を味わってしまうことがゴルフの現実だと知る必要があります。
いつの間にかそこから逃げ出して他の部分で楽しさを見つけようとする、いわば「逃げ」「言い訳」のために間違った楽しみを設定してしまいます。
曰く「スコアなんてどうでもよい、楽しければ。しかめっ面でラウンドして何が楽しいんだ!」という言い草ですが、私は何か違うようにいつも感じています。
ゴルフをする以上はスコアを目指すのは当然で、その当然なことに頑張る同伴者を否定することは、ゴルフそのものを否定することと同じだと思っています。
現実は、終わって「楽しかった」と思えるゴルフのためには、ラウンド中は10回やって10回成功することをやり続けることが大事で、ある意味つまらないラウンドになるはずです。
「1打謝る」という言葉がありますが、これは失敗した時に1打を犠牲にして軌道修正することをいうもので、その場面では屈辱感さえ感じ、楽しくもなんともないものです。
(だからアマチュアは無理をする羽目になってしまうのですが、、、)
プロがギャンブルするのは、優勝争いで1打も落とせない場合とか、その1打が予選通過するかどうかの最後のチャンスなど限られたシチュエーションでしかなく、それも成功の可能性があるときだけです。
アマチュアには、そんな場面などたとえ競技に出ていたとしてもないはずで、競技でもそんなシチュエーションでギャンブルするようなマネジメントでは、下位に沈むのがオチだということです。
まして、通常のラウンドで成功の確率がほぼ皆無なのに無謀にチャレンジすることは、その時点でゴルフの楽しみを放棄しているもので、スコアが悪かった「言い訳」を見つけているのと同じ考えだということです。
こうしたことを書くと、多くの反感もしくは反論がありそうですが、そう思っている人はゴルフの真の楽しさを知らない人と言えるのかもしれません。
毎回、ラウンドで楽しさを得ようと思うこと自体が間違いで、10回いや100回に一度の達成感を求めて頑張るというのが正しいゴルフの楽しみ方だというものです。