三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

廃墟ホテルを見て思うこと

 今日は土曜日ですが、今日の熊本は朝から雨で、このまま梅雨入りするかなと思うものの、明日は天気は回復する予報が出ています。
 しかし、月曜日がまた雨模様なので、来週中には梅雨入りしそうだと予想しています。


 さて、私が8日・9日と連チャンラウンドした阿蘇やまなみリゾートホテル&ゴルフ場は、その名のとおりホテルが併設されているゴルフ場です。

(阿蘇やまなみリゾートホテル&ゴルフ場の様子。中央のタワーが客室棟です)


 私も何度か宿泊したことがありますが、このホテルの客室は円筒形の建物の3階から12階までで、中心にエレベーターがあり部屋が周囲に配置されるという変わった造りです。


(HPにある部屋の配置図。水色部分がバストイレになりますが、周りに高い場所がないためカーテン無しで入浴可能です)


 このホテルと勘違いされますが、近くに廃墟になったホテル跡があり、ゴルフ場への行き帰りに遠目で見ることができます。

 この画像は、8日の朝に東に位置する「うぶやま牧場」近くから撮影しました。壁に草が伝い、異様な雰囲気が醸しだされています。
 「骸骨ホテル」という表現もあり、そう言われれば「髑髏(ドクロ)」がたくさん並んでいるようにも見えるものです。


 9日のやまなみGCのラウンドでは後半が初めての九重コースになり、その4番パー4のティーイングエリアがこの廃墟ホテルに一番近い場所でした。

(画像で見るより実際は近くに見えます。ほとんどの窓ガラスが割れているのが見て取れました)


 この一帯では「卑弥呼の里」という名の大型リゾート開発が1978年から行われていましたが、この計画は1982年に開発を託していた不動産会社が倒産して頓挫しています。
 この廃墟ホテルも、完成前の1982年に建設が中断したもので、完成していればまだ利用価値もあったのでしょうが、ほぼ内装工事前の中断だったので外側だけ出来上がったものです。


 不動産会社の倒産理由は、全国の出資者から第一次募集で約250億円を集めていたものの第二次募集では金が集まらずに資金繰りに窮し、不渡りを出したためです。
 出資者が多いため、完成間近のこのホテルをどうするかという方針が纏まらないまま時間が経過し、結果的に老朽化が進み、解体する費用もなく放置されたものです。


(右上にゴルフ場のコースが見えます)

(正面奥の風力発電施設があるのは、「うぶやま牧場」です)

 ネットに内部を撮影した動画もあり、それを見るとガラス戸に「リゾートホテル別館」という文字が見えるため、タワー型のホテルが本館で、廃墟は別館として作られたものと思われます。


 やまなみゴルフ場の開場は1990年4月なので、資金的に廃墟になったホテル別館は以降の建設を諦め、ゴルフ場と本館ホテルの完成を目指したという選択結果なのかもしれません。


(内部には備品類もあるようですが、内装工事は終わっていないのが分かります)


 ちなみに九重コースのホール間の流れは、7番・8番でパー3が続くという一般的なものでないため、もしかすると九重コースは別館専用の9ホールとして作られたのかもしれません。
 そうであれば、廃墟ホテルに一番近い4番パー4からスタートして、3番パー5で帰って来ることになり、アウト・インになる阿蘇コース・祖母コースとはテイストが全く違うコースである理由も分かります。


 この廃墟ホテルは、広大な高原の中で草木に囲まれひっそり佇んでいるものですが、実は私がよく利用する阿蘇五岳ホテルがある内牧温泉街の中にも、廃墟のような宿泊施設が残っています。

(以前はボウリング場が内部にありました。2012年(平成24年)の九州北部豪雨ではこの辺り一帯は冠水していますし、6年前の2016年(平成28年)熊本地震でも建物に被害が出ている可能性があります)

(施設内に25mプールがあり、夏は屋外でキャンプもできました。湯量が豊富な温泉もありお気に入りでした)


 ここは、公立学校共済組合の宿泊所であった「ひのくに会館」ですが、現在は閉鎖され、阿蘇市の管理地になっています。


 私が在職中に「ひのくに会館」は閉鎖になったということは聞きましたが、その後の経緯は全く知りませんでした。


 少し調べてみると、阿蘇市は所有者の公立学校共済組合から、2011年3月に発生した東日本震災の被災者支援のための施設として取得したようで、となると2011年以降に財産移転が行われているはずです。
 ただ、取得後5年間は取得目的以外の利用はできない契約になっていると、阿蘇市議会の議事録に残っています。


 この旧「ひのくに会館」は、私自身も在職中は数えきれないほど何度も利用したことがある思い出のある施設になります。


 毎年、県教委(福利課と施設課)主催の会議がそれぞれ「ひのくに会館」で行われ、夜は宴会が開催されるのが常でした。
 慢性的な赤字に悩む会館の利用実績を上げるために、そうした手法が採られていたようですが、まだ公務員の出張問題などが取りざたされる前のことで、参加する側からすれば楽な出張だったものです。


 もちろん個人的な利用もしていて、子どもたちを連れて夏休みに保養に行ったりしていましたが、それも「利用券」という学校で発行した用紙を持って行くと割引が効いたためで、安価な料金で食事をして温泉に入れるため、それなりに人気はあったものです。


 ただ熊本県内には別に「水前寺共済会館」という同様の宿泊所が熊本市内にあり、2か所の宿泊所を持つ県は全国では現在は5県だけで、当時もこの「ひのくに会館」は慢性的な赤字状態で維持が厳しかったものです。
 偶々、共済組合の「監査委員」をやったときは、監査等でも宿泊しましたが、その時は既に廃止という一定の方向は出ていた記憶があります。


 これは私の予想ですが、手放したい共済組合熊本支部(=県教委)側と温泉付きの宿泊所を手に入れるメリットを感じる市側の思惑が合致し、無償もしくはそれに近い譲渡だったはずで、その条件として手放す側も手に入れる側も「東日本震災の被災者用の施設として」という大義名分が欲しかったのでしょう。
 そうであれば、周辺の温泉ホテルなどの反発も和らげるものですが、結果的にはその条項が市側に有効利用する機会を逃させることになります。


 結局は東日本震災の被災者が遠く離れた阿蘇に住むこともなく、かといって転用も契約上5年間は出来ず、そうして何もせずに譲渡から5年以上がたった今でも当時のままの姿で残るもので、阿蘇市としては当初の目論見が外れ、解体するにも改装するにも相応の予算が必要になり、当面放置が続いているのだと思われます。


 さきほどの廃墟ホテルとは違い、「ひのくに会館」は長年にわたって我々、共済組合員の用に役立った宿泊所なので、廃墟ホテルのような悲しい運命こそ感じませんが、それでも思い出のある施設がそのままの姿で放置されているのを見るのは、心が痛むものです。


 解体するなり、改装して有効利用するなり、阿蘇市の早目の判断が必要ですが、せっかくの内牧温泉の入り口にこうした施設を放置するのは観光上も得策とは言えないはずです。
 時間が経てばたつほど、こうした施設の老朽化は進むもので、廃墟ホテルのようにならないことを祈るばかりです。