三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

9月早々に身近な場所で事故が発生

 8月が終わり9月に入りましたが、今日の熊本は秋雨前線の南下のため雨模様になり、阿蘇ハイランドで成立していた1人予約は「アプローチの達人」との2サムだったため、5時半に連絡を取り合い、ラウンド自体を中止しています。


 もし、別の人とのラウンドで成立しているのであれば、ラウンドの可否に関わらず1人予約では必ずゴルフ場に行くように心がけていますが、雨のラウンドは行わない達人との2サムであれば、ほぼ中止だと昨日のうちから予想していました。


 予報通り、8時過ぎから雨模様になり、11時近くからは本格的な雨になっていて、明日のラウンドも厳しいようです。


 さて、今日は私が住む熊本市西区池上町について少し書いてみることにします。


 「池上」は全国にも同名の地区がありますが、熊本市の「池上」はその名のとおり、以前「味生池(あじうのいけ)」という灌漑池があった場所です。
 奈良時代初期に筑後守に任ぜられた「道首名(みち の おびとな)」が肥後守も兼任し、安定した水稲耕作を目的に各地に灌漑池を作らせたものの1つになります。

(アバウトな図ですが、赤線内辺りに「味生池」があったようです。この辺りの井芹川は人工的に作られているため、平地でも直線的な造りになっています)


 上の地図にある「井芹川」は元々は万日山の東(右側)で坪井川に合流する川でしたが、付け替えで池上地区を貫流するようになりました。
 私の子どもの頃は、川の付け替えは、初代肥後藩主に任ぜられた加藤清正が行ったと聞いていましたが、ある資料を読むと「味生池」の埋め立ては行ったものの、「井芹川」そのものの流れを新たに変えたのは昭和初期の土木工事によるもののようです。


 確かに戸坂辺りの水面と両岸の高低差は大きく、人力が主な江戸時代初期に大掛かりな掘削工事は大変だったろうなと思ってましたが、昭和になってからの工事であれば納得です。


 なぜ急に池上町のことを調べてみる気になった理由は、先週末から行方不明になっていた老婆が近くの水路で遺体で発見されたためです。
 町内放送で先週末から、行方不明者のお知らせが何度かあっていて、今日のお知らせでは「見つかったけど残念な結果でした」とあり、ニュースを見ると発見場所は近くの水路でかなり増水して流れは淀んでいる様子でした。

 もともと、池上は低地で水はけはあまりよくない場所で、きっと行方不明者は上流の民家が密集している辺りで水路に転落し、数日かけて発見現場まで流されてきたのだろうと推測していますが、残念な結果になりました。


 普段は事件事故などない長閑な田舎町ですが、普段は浅い小さな用水路も増水していれば危険なものに変わってしまうようです。