三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

将棋の時間

 将棋界は藤井新棋聖の誕生で活気づいていますが、それに乗っかったわけではありませんが、最近はAvemaTVの「将棋チャンネル」をよく見ています。


 私自身は将棋は駒を動かす程度のレベルですが、今から37年ほど前にNHK教育の将棋講座を見ていました。
 将棋講座は日曜朝の10時からの20分間の放送で、その後にNHK杯将棋トーナメントが放送されていて、当時はテレビでプロ棋士の対局を見れるのはこれだけであり、毎週日曜日の午前中は視聴するのが楽しみになっていました。


 当時の将棋講座の講師は、もう引退された田丸昇七段(当時)であり、調べてみると1983年の1年間講師を務められたようです。
 田丸七段は1950年の生まれということで、計算すると講師の時期は33歳という若さだったようですが、テレビに映る様子は私にはすでに50歳程度かなと思っていて、それくらい将棋のプロ棋士は地味な存在でした。


 当時は前年に中原誠が加藤一二三に名人位を奪取され、若き谷川浩二がその加藤名人から史上最年少で名人位を奪取したことで、世間に将棋ブームが起こっていた時期でした。
 NHK杯でも、大山康晴十五世名人や米長邦夫、内藤圀雄など有名棋士の対局が見れる時代であり、だからこそ将棋は年齢の高いおじさんのゲームだという印象を持っていた中での谷川名人の誕生は新鮮でした。


 将棋講座を見るきっかけは、たまたま職場で将棋が好きな職員がいて、昼休みに駒の動かし方だけは分かっている私が相手になりましたが、全く勝てなかったので悔しく、将棋を勉強しようと思ったからです。


 定跡の本や詰将棋の本を買って読んだりもしたし、1年間は将棋講座をテキストを買ってほとんど見たものです。
 新聞の将棋欄も毎日のように眺めていて、当時取っていた熊日新聞には棋王戦だけの掲載でしたが、それによりいろんな棋士の名前や得意とする戦法などを少しずつ知識として蓄えたものの、それで私の将棋が強くなることはなかったのです。


 勉強しても将棋が上手くならなかったので、しばらくすると熱意も冷めて将棋講座を見ることもなくなりましたが、それでも田丸講師の次の森安講師までは見ていたので2年間は見たことになります。


 その後は転勤になり周りに将棋を指す者もいなくなって私が将棋を指すこともなくなりましたが、ちょうどそのころに将棋界に新星が現れます。
 NHK杯はその後も見ていましたが、88年には当時五段の羽生善治が大山康晴・加藤一二三・谷川浩二・中原誠と現役の元名人経験者を破り初優勝したのです。


 その後の将棋界は羽生善治を中心とする、いわゆる「羽生世代」の台頭で一気に若返り、将棋は観る対象としての位置づけになりました。


 最近は、ネットで将棋のタイトル戦をリアルタイムで見れることには隔世の感がありますが、見ていて感心するのが、聞き手になる女流棋士のアイドルのような佇まいです。
 以前の女流棋士には、お世辞にも「おっ」と思うような人はおらず、将棋という地味なイメージそのものでしたが、この数年は美人が多くなったようです。


 ゴルフの女子プロが以前は男勝りのようなタイプばかりだったのが、最近はモデルのようなスタイルの若手が多くなり、ファッション面でも注目されてLPGAの人気がPGAを上回ったように、プロは注目されてナンボだということです。


 私が注目しているのは、塚田恵梨花女流初段(21歳)で、お父さんが塚田泰明九段、お母さんが高群佐知子女流四段というサラブレッドです。


 ゴルフや将棋の実力的には男子に及ばなくても、それ以外で十分アピールできるのが女子の特権であり、その意味では女流棋士の今後もまた目が離せないようです。