三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

私の目指すところ

 私は毎週の土曜日には1人予約で知り合ったPGAティーチングプロのレッスンを受けています。


 「ティーチングプロ」という名称はPGAの登録商標なので、PGAの会員以外は「ティーチングプロ」という呼称は使うことはできず、「レッスンプロ」や「インストラクター」という呼称を付けるのが一般的です。


 最初にプロと出会ったのは、以前は私のホームコースであった宇土チェリーでの1人予約で、そのショットを見て只者ではないと感じ、上級者だと見込んだ方への恒例質問である「オフィシャルハンディーはいくつですか?」という問いに「持ってません」という答えだったため「プロかも」と怪しんだことが発端です。

(南阿蘇CCでのプロ―のドライバーショット)


 2回目に一緒になった際に、スタート前にしつこく私が詮索したのに業を煮やしたのか
こっそりとキャディーバックの「PGA」のタグを見せてくれ、「なるほど」と納得したのですが、プロは同伴者に私が「プロ」だと明かすことは禁止されています。


 プロだと知らない同伴者にとっては、その上手さに驚き「大会などには出ていないのですか?」という素朴な質問をされる方もいますが、私が最初の頃に「出場資格がない」などを言うものなら「余計なことは言わないでいい!」とばかりに怒られることもあったのです。


 アベレージゴルファーは同伴者を自分たちと同じアマチュアだと思って見ると「上手い人だ!」と感じますが、いったん「プロ」という色眼鏡を通してしまえば「プロだからやれて当たり前」と思ってしまうのが怖いところです。
 こうしたレベルでは「シングル」ハンディー者だと聞くだけで「いつも70台のスコアでしょ?」と平気で尋ねるし、他人の噂をするときでも「あいつはシングルだからパープレーする」などといった「盛った」話をしがちです。


 実際は、アマチュアが常時パープレーできるレベルなら「日本」と付く大会で常に上位に位置しているレベルのはずで、「シングル」は20人に1人の割合でいても、そんなレベルがどこそこに居るわけがないのですが、悲しいかな自分より上のレベルは「味噌も糞も一緒」という感じ方になってしまうのです。


 プロは私にも「自分は教えるプロだから」と謙遜しますが、これまで数十回を一緒にラウンドしていて、少なくとも私は彼をゴルファーとして一目置いている存在であり、尊敬の対称なのは単なる「プロ」という肩書に対してでなく、実際にラウンドしてその技術の高さを感じるところからなのです。


 過去には何度も「プロ」(「ティーチングプロ」ではない)とラウンドした経験はあり、レッスンも受けていましたし、別のPGAティーチングプロのラウンドレッスンを受けたこともありました。
 それぞれお上手であり、自分との「レベルの違い」を感じていましたが、どうすればそのレベルの違いを埋めるかの方法が皆目分からなかったのです。
 いわば「先生」と「生徒」の関係であり、生徒が師を越えることはご法度的なイメージまで持っていました。


 現在レッスンを受けているプロは、細かい部分にも指導があり、全てすべてをその通りにできないまでも、なにかしらの光明が先に見えるような指導をしてくれます。
 半分はお世辞なのでしょうが、「もっと上手くなる」と叱咤激励してくれるし、私の「ボギーなゴルフ」に基づく考え方にも、より上を目指さないといけないという暗黙のメッセージを発してくれます。

 先日、同伴した阿蘇グランビリオゴルフ場西コースでの出来事です。プロは4番のパー3で左バンカーに打ち込み、左サイドのピンはバンカー縁から繋がった下り傾斜のすぐ先で左側(正面から見ると奥)は二段グリーンの下側に落ちるという難しいピンポジでした。


 2人乗りカートに乗って移動する際に「あのバンカーだったら私はとりあえずグリーンオンを優先します。変に欲張ればダボもあるから」と言ったら、プロはバンカーショットをエッジに落として寄せる選択をされたようです。


 結果的には、そのチャレンジはエッジに止まる失敗になりダボに繋がりましたが、より上を目指すのであれば、リスクを恐れずチャンスがある以上はチャレンジするべきだという考えを私に対して実践して見せたのかもしれません。
 それはいわゆる「流れ論」のような部分もあり、パーが取れない(流れが悪い)ときは我慢して、パーが続くとき(流れが良い)はチャレンジする考えで、流れが良い時に変に守りに入って調子を崩すことは私の経験上でもよくあることです。


 ラウンド中にも私がミスショットすると「我慢!」と叱咤激励されるし、微妙な距離のボギーパットを決めると「よく頑張った!」と褒めてくれます。
 ミスがミスを呼ぶ展開のゴルフでは我慢することを、パーが連続して取れている状況では変に守りに入らないようにというメリハリを教えてくれたようです。


 プロと言えども人間なので失敗することはあり、インストラクターなどの一般的なレッスンにおいて「私、失敗しないから」的な態度でレッスンすることは、生徒への権威付けのために必要なことは理解しますが、そうしてしまったら「先生」は特別なものだと「生徒」は感じてしまいます。
 つまり、乗り越えられない存在だと思ってしまい、自分の成長を止めてしまいがちなのです。


 私は今は同じスコアでホールアウトしたとしても、内容を重んじたいと思っていて、ナイスショットしてバーディー狙いして3パットのボギーの方が、ミスって寄せが偶々寄った寄せ1パーより価値があると思っています。
 もちろんゴルフは「上がってなんぼ」であり、スコアカードには寄せ1パーもバーディー逃しのパーも同じ数字ですが、より上のレベルを目指すのであれば結果オーライのゴルフではダメだと今は思っているのです。


 今年は自分の可能性を探す旅に出たわけで、その結果が出るかどうかは別にして、プロの教えをベースに自分へのチャレンジの年にしたいと思っています。