三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

私が考えるプロとアマの違い

 今日の熊本は雨模様ですが、私のラウンド予定はないため雨が降ってもそう困らず、逆に昨日までのボランティアでの疲れを取るための良い休養日になっています。


 そのボランティアで感じたことが、「プロ」というものの存在意義です。

 ゴルフは所詮遊びなのですが、用具を売るためにメーカーとしてはゴルフを流行らせる必要があります。
 どう見てもゴルフ関連商品の価格が高すぎると感じるのは、メーカーが大会やプロ個人に資金を出して世の中にゴルフを流行らせ、自分たちの用具を購入して欲しいと思っているからで、そんな経費が用具に上乗せされているからです。


 トッププロは賞金以外にも契約メーカーからの契約料やCM出演料などを得ることができますが、こうしたことが可能なのもゴルフ人気がある間だけなのです。
 人気がなくなるとスポンサーは一気に手を引き、残ったプロは単なるゴルフが少しだけ上手い兄ちゃん姉ちゃんという当たり前の現実が残るだけです。


 人間が生きていくうえでゴルフという存在がこの世に絶対に必要なものではないことは当然であり、そうなればプロゴルファーなど何の必要性などない存在になるだけです。


 同じようなプロスポーツではプロ野球がありますが、野球の場合は観客動員数が見込める大きなスタジアムで試合を行うため、興行そのもので利益を生むことが可能で、チケット代を平均3千円として1試合2万人ほど集客できれば、3,000円×20,000人=60,000,000円の収入が見込めます。
 プロ野球は年間140試合程度を行い、半分を主催ゲームとして球団に入る収入は単純に計
算して42億円となり、これ以外にも球場の広告料・飲食料のほかテレビ放映料・グッズ収益など様々な稼ぐ方法が見込めます。


 対してゴルフの場合は、まず集客そのものが野球のように見込めず、JLPGAの記録を見ると昨年の一日当たりの集客1位でも9127人と1万人には届いていません。
 ゴルフの観戦チケット料金はバンテリンレディスオープンの場合、金曜日が3千円で土日がそれぞれ4千円になっていますが、主催者発表によると観客数は3日間にわたり好天に恵まれたのに関わらず金曜日が2,383人、土曜日が3,227人、日曜日でもたった3,408人にしかなりません。


 つまりバンテリンレディスの入場料収入は販売経費を考えずに単純計算すると
  7,149,000円+12,908,000円+13,632,000円=33,730,000円 になりプロ野球の1試合分にも遠く及びません。


 この大会の賞金総額は1億円となっているため、入場料収入は賞金額の半分にも満たないことが分かり、一般的に賞金総額程度と言われる開催経費も含めてスポンサー頼りだという図式がハッキリしています。


 JLPGAがテレビ放映権を独占しようとして数年前にトラブったのも、独自の収益ルートを確保したかったのが理由で、そもそもプロゴルフツアー自体が現地で観戦するスタイルよりテレビ観戦の方が主だという特殊な興行なのです。
 昨日も背中にLPGAとあるテレビカメラマンがいましたが、ネット配信の中継用なのでしょう。


 一般的に、アマチュア競技もあるプロスポーツの場合、一般人とは格段に技量の高い部分を見せなければ、プロスポーツとしての存在意義はなくなります。
 例えば、プロ野球はアマチュア野球より格段にスピード・パワーが優れていることは異論のないところで、もしプロの投手が120K台のスピードしか出せず、野手の打球がスタンドまで届かないのであれば、観客がわざわざお金を払って見に行くことはないはずです。


 ゴルフは特に女子プロが今は人気が高いようですが、それはゴルフをする一般の男性アマチュアにとって、自分たちより体格に劣る若い女性が自分たちをはるかに超えるドライバーショットを放つからで、男子プロのドライバーショットは最初から比較対象とは思っていません。


 主催する側からするとゴルフツアーは見世物であり、もし脚色が可能だったら最後まで見ているものをハラハラドキドキさせるような試合展開を作りたいのですが、現実的にそれは不可能なので出場選手が個々にそうした状況を作ってくれることを祈るだけです。


 ゴルフはスコアで順位を付けるため、出来るだけスコアを崩さずチャンスではスコアを伸ばすようにしないとプロの場合は上位へ入るのは望めません。
 またスコアメークの考え方でも、攻めてバーディーチャンスを掴む方法と守ってチャンスを待つ方法があり、私は後者はアマチュアのゴルフだと思っています。
 プロでは前者タイプのみがスター候補となり、後者のタイプはどうしても脇役になりがちです。


 昨日の日記でも書きましたが、優勝した竹田プロは最終18番パー5で2オン可能な場所から刻んでパーを獲り、結果的に2打差で初優勝を果たしています。
 ここが私が物足りないと感じる部分で、いくら初優勝がかかっているといっても、3千人のギャラリーの前でテレビも注目している第2打をアマチュアのように刻む選択をしたことにゴルフ人気が低迷する兆しを感じ取りました。


 もし、果敢に第2打で2オンを狙ってチャレンジしていれば、もっと観客は湧くだろうし、現地でしか味わえないハラハラドキドキする状況が作れたはずです。
 届かない距離だったらそれはチャレンジとは言わず「無謀」というものですが、この大会終了時点でドライビングディスタンス第3位に付けている竹田プロであれば、問題なく届く距離だったはずです。


 実は、この状況は2日目の最終組の岩井明愛プロの第2打でもありました。岩井プロもドライビングディスタンスで5位に付けている飛ばし屋ですが、2日目の18番のドライバーショットは同組の2人より飛んでいたのに関わらず、さっさと2オン狙いの2人より先にセカンドを打っていました。


 テレビが盛り上げようとした矢先にあっさりと先に打ってしまいましたが、この考え方が上位選手の間に広まっているのではと心配しています。
 岩井プロと同組の2人は果敢にチャレンジしてくれたので、それなりに盛り上がりましたが、結果は1人が池ポチャしたものの見事にリカバリーして3人共に岩井プロと同じパーで終えています。


 ゴルフ経験者は「左足下がりの難しいライだからフェアウェーからでも刻むのが正解」というような物知り顔で宣いますが、ギャラリーの大多数は難しいライなどとは分かっておらず、ここはプロとしてギャラリーを魅せる義務があったと私は思いました。


 もし岩井プロが2オンしてイーグルパットを打てていたら、最終日に逆転されるようなことはなかったはずで、ミスを恐れて安全策を選択した時点でゴルフの神様は岩井プロを優勝者から外したのかもしれません。


 竹田プロも同様で「初優勝がかかっているから刻みが正解」という周りが言い訳を作ってやる甘ちゃんばかりだったら、今後の活躍に私は疑問視しています。
 キャディーが止めても「これが私のスタイルだから」と果敢にチャレンジすべきで、もし失敗しても負けではないことからも、本人のためにもチャレンジさせて欲しかったところです。


 見ていたギャラリーは、もし竹田プロがチャレンジしていてそれで優勝すれば心から「凄い選手」だと思うもので、その記憶はずっと残るはずです。
 過去の大会でも、優勝争いをしている上田桃子選手が果敢にチャレンジして池ポチャしたこともあり、それがトッププロの矜持だということです。


 敢えて言いますが、あのセカンド地点から刻んでパーを獲ることは私でも5割以上の確率で可能だと思っていて、スコアメークを第一に考えるならもちろん刻みを私は選択します。


 つまりあの場面ではプロの技を見せるべきだったのに、岩井プロや竹田プロはアマチュアの考え方をしたわけで、これでは見ていたものを感動させることなどできないのです。
 成功の自信がないならそれはプロとして練習が足りないというだけで、自信が付くまでもっと練習しろというのがプロとして当然な義務なのです。


 古い話になりますが、1999年の全英オープンで「カーヌスティの悲劇」という出来事が起こりました。
 フランスのバンデベルデは2位に3打差をつけて最終18番にやって来ます。カーヌスティ(ゴルフ場名)18番は通常営業ではパー5ですが全英ではパー4となり、バンデベルデは1打目を右に曲げ、そこから無理して2オンを狙って深いラフに入れ、3打目はそのラフから当たらずにクリークに入れて3打のリードを吐き出すトリプルボギーを打ち、プレーオフの末に敗れてしまいます。


 誰もが2打目を無理せずフェアウェーに戻してボギー狙いだと思いましたが、バンデベルグはメジャーチャンピオンになるためにはそんなゴルフではダメだと思ったはずで、そこには全英というメジャーへの敬意と併せ、プロとしての矜持があったはずです。
 バンデベルグは結局負けましたが、優勝者のポールローリーよりも記憶に残る敗者になりました。


 バンデベルグはまた「これはたかがゴルフ、たかがゲームじゃないか。人生にはもっと辛いことがいっぱいあるんだから」とも述べていて、結果的にはその後の活躍には繋がりませんでしたが、私はまさしくグッドルーザーだと感じたところです。


 話は戻って、チャレンジ精神を忘れたトップ選手が多くなると、緊張感がない優勝争いになってしまい見ているものを魅せることができず、そうなるとそこには衰退しかないというのは歴史が証明しています。 
 賞金や優勝という名誉が目の前にぶら下がった状態でも、そんなことに惑わされずチャレンジをする姿勢が、結果的に選手個人の人気を高め併せてツアー全体の人気を維持できる唯一の方法です。


 たとえ、チャレンジが失敗して優勝を逃したとしても、そうした考え方をする選手になっていれば近い将来にまたチャンスはやってくるもので、次は成功するように悔しさを忘れずに練習に励めば、より強い選手になれるチャンスだったとも言えます。


 目先の1勝を得るために、もしかしたら世界に羽ばたく大器になるチャンスを逃すことになったかもしれず、小さな狭い業界でこじんまりした選手の1人になってしまえば、その職場になるはずのツアーの将来は暗いと思われます。


 つまり、長い目で見ると自分のためでもあり、興行=見世物というツアー制度の本質を忘れてしまっていては、誰も魅力など感じることがなくなり、最後は若い女性という武器を使うだけの色物興行に成り下がるだけです。


 今日のチャオ。毎日何を考えて生きているのでしょう?きっと何も考えていないのはプロゴルファーと一緒なのかもしれません。