三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

熊本城マラソンを視聴して思いを巡らせる

 今日は晴天の日曜日でしたが、今日2月18日は「熊本城マラソン」が私が住む熊本市西区周辺を使って開催されました。
 「熊本城マラソン」は2部門に分かれていて、フルマラソンと30キロのロードレースになり、フルマラソンの方に一般のアマチュアランナーは抽選を経て高額な参加料を支払い、走ることになります。


 対して「熊日30キロロードレース」は出場者は招待選手を含めたアスリートのみで、今回が66回大会という歴史のあるレースですが、以前は熊本市の熊日新聞社前から阿蘇方面に向かって菊陽町まで走って折り返すレースでした。
 このコースは前半はダラダラした上りになるものの、後半は下りになるため記録が出やすいコースとして知られ、フルマラソンを目指す若手の登竜門と言われたレースでしたが、2000年から熊本城マラソンの中の1つに組み込まれ、コースはそれまでの東に向けて走っていたものが西へ向かうコースへと大きく様変わりしてしまっています。


 そのためか過去の記録がなかなか見れなくなっていますが、現在のコースでは1時間28分が最高記録のようで、このペースでフルマラソンを走り切ることができれば計算上は2時間4分前後の記録が出ることになります。


 このことからも、先日交通事故で死亡したマラソンの世界最高記録保持者だったエリウド・キプチョゲ(ケニア)選手が昨年10月のシカゴマラソンで叩き出した2時間0分35秒の記録がいかに凄いものかがよく分かり、人類初の2時間切りはトップランナーの突然の死去でもうしばらくは期待できなくなりました。


 話は変わりますが、私は若い頃には長距離走は苦手ではなかったものの大嫌いでした。その気持ちは今でも続いていて、ずっと自主的に走ることはほとんどなく、大学を卒業して就職1年目に最初に赴任した人吉市の一周駅伝大会に駆り出されて走ることになった際に気合を入れて走ったのが最後の記憶です。


 長距離走が嫌いになった理由は、中学校に入学して卓球部に入りましたが、毎週土曜日に行われていた部内での往復15㎞のトレーニング走からです。
 新入生は練習中は毎日学校周辺の山道を走らされていましたが、それはせいぜい2~3Kmの事であり、その程度は全く苦にならなかったものの、土曜日(当時は午前中に授業があっていた)の午後の長距離走には憂鬱になるほど嫌いでした。


(熊本城マラソンは右上の熊本城から西大橋を経由して左の港方向を目指して走ります。点線は私が中学時代に大嫌いだった長距離走のルートです)


 この部恒例の長距離走は、前半は部員が縦列に並んでの集団走で帰りは競争でしたが、帰ってからは普通に練習があるのでいつも手抜きで走っていたことを思い出します。
 この「走る」という練習は高校でも大学でも同様で、卓球競技=走るという入部前には思ってもいなかった図式があったことは想定外でした。


 そのため部員には長距離走が得意な者も多く、大学の際は学園祭の中で部対抗駅伝大会というイベントがあっていましたが、私は出れなかったものの弱小陸上部を抑えて優勝した思い出があります。


 そんな長距離走が嫌いだった私でも、毎日のように走らされていたため中学校や高校での長距離走大会では上位に入っていましたが、もちろんその頃は今のような肥満体ではなく大学時代は身長は同じでも体重は今より28㎏も少ないガリガリ体形だったのです。


 そんな走ることが嫌いな私でもジョギング程度は30歳代のテニスに熱中していた時期やソフトボールをしていた60歳台前半は行っていて、あくまで競技のためという位置づけで楽しいから走ることなどではなかったのです。


 ゴルフのプロは現在でこそアスリート系が多くなりましたが、以前は腹の出たおっさんプロも多く、他の競技のようにトレーニングの必要性はそこまで高くはないスポーツだと思っていました。
 その認識を覆したのがタイガーで、鍛え上げた体形で豪快なショットを放つ姿を見てゴルフもアスリートの時代になると思ったものです。


 今でもゴルフはレジャーという面と競技という両面がありますが、ほとんどのアマチュアゴルファーはレジャーとしてゴルフに取り組んでいるはずです。
 それなのに、スイングなど競技ゴルファーそれも世界のトッププロのスイングを教えようとするレッスンがあることに私は常々疑問を持っていました。


 もっともアマ側がそれを望むことも多く、だから供給側がニーズに応じているのでしょうが、たかが遊びのゴルフに最新式のスイングなど無駄なことだと分かるはずです。
 私は卓球競技の経験者ですが、卓球にもいわゆる「ピンポン」と呼ばれる遊びの層と「卓球」という競技者の層との間には大きな格差があり、ピンポンを楽しむ層に「チキータはこう打つ」とか「パワードライブの打ち方」などを説いても意味が無いことになります。


 これはゴルフでも同じで、100が切れないという層に流行りのスイングをいくら教えてもこれは時間の無駄になるだけです。
 アマチュアゴルファーの大多数が100切りという目標でゴルフを終わる現実があるのだから、楽しむゴルフ向けの打ち方があっても良いのではと思いますが、現実はそうでないところにゴルフ界の「闇」があるのかもしれません。


 つまり、100切り出来ない層にその原因が「飛距離」にあるように勘違いさせて用具を売りつける、またはレッスンに通わせる、雑誌やレッスン動画を売りつけるなどゴルフで商売している業界の利益を確保するためには、いつまでたっても下手なアマチュアは「下手」のままが都合が良いということです。


 そもそも、「ゴルフの精神」に反する金儲けのためのいわゆる見世物である「プロ制度」がいつのまにかゴルフ界での本流になってしまったように取り上げるマスコミの姿勢も問題で、たかが球遊びが少しくらい上手というだけで金を稼げることで周囲から持ち上げられ、自分は「偉い」などと勘違いしてしまうような底が浅い人間が一定数存在することになれば、もうその業界は大衆に支持を得られることなどないはずです。


 それは「お笑い」という芸能の一分野も同様で、世間では通用しないような人間が集まって見世物としてやっているうちは少々の問題があっても非難などされませんが、卑屈に振る舞わずに偉そうな振る舞いを始めると世間は自分たちと同様な規範を求め始めるものです。


 ゴルフが世間的にもレジャーとして一般化している以上、プロは邪道で単にゴルフ界の隅っこで食わしてもらっているという基本的な考えを忘れてしまうと、いつかは天罰が落ちるもので、すでに日本のプロの未来が不透明な時代に入っているのはこれまでの悪行のツケが回ってきているだけなのかもしれません。


 今日のチャオ。昼間は外は直射日光で暑いほどで、根性無しのチャオは暑さで室内に入りたがっています。

(よたよたと歩く姿は、もうおじいさんのようです)