三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

ゴルフスイングなんて人それぞれ

 今日の熊本は気温が零下2℃まで下がる寒い朝でしたが、阿蘇ハイランドの早朝ラウンドは予約者の「アプローチの達人」から昨日のうちに「明日は終日マイナスの温度なのでキャンセルしない?」と連絡があり、すぐに同意の返事をして中止にしています。


(今日の阿蘇ハイランドの天気予報。スタート時間が7時半過ぎになっていましたが、気温がマイナス5℃ではコースは凍り付いてしまい、ゴルフになりません)


 さて、表題の「ゴルフスイングなんて人それぞれ」ですが、これは私が過去に知らない同伴者からさんざん言われたことが発端で開き直った考え方です。
 そのよく言われたことが「野球経験者ですか?」という一言で、言った本人は悪気がなく私のスイングフォームを見た感想を元に何げなく尋ねたのでしょうが、言われる私としては「またか!」といつも思っていました。

(一般的には赤線までシャフトが来て切り返しなのでしょうが、ここが私の切り返し位置になります)


 今もそうですが、私のスイングフォームはトップが浅く、ちょうど野球でのバッティングフォームのようにシャフトが立ち気味の状態で切り返すためですが、そうはいっても野球のフォームとは全然違うものです。


(野球選手の打撃フォーム。振り遅れないようにするため切り返し位置は浅めです)


 当初、私は自分でもトップが浅いことの自覚がなかったのですが、自分のフォームを撮影してみて最初は愕然としたものです。
 ただ、ここまでしか上がらないのは私の特性であり欠点ではないと思うようにし、無理にフォームを変えようとは思いませんでした。


 それは、飛距離は少なくとも「野球経験者?」と尋ねる人より出ていたし、アマチュアだからお手本のような「見せるスイング」をする必要もないと思ったからです。


 ゴルフではなぜか「こうあるべき」と形に拘る人は多いようで、知らない同伴者からはそれから何度も同じ質問を受けましたが、以降はそっけなく「いいえ卓球です」と答えるだけにしていました。
 そう答えると、ゴルフとは無縁に思える卓球だと話は続かなくなるため、その後はフォームについては何も言われなくなることが分かりました。
 
 次の動画は3年半ほど前の阿蘇ハイランドでのショットをドライバー・アイアン別に撮影したものをスローで編集したものです。
 このころはまだ腰痛もなく、飛距離がそれなりに出ていましたが浅いトップでも問題ない結果だったと思います。



(1・2・3・5・6・7番のドライバーでのティーショット)

(2・3・6・7番の各パー4のセカンドショットと5番パー5の3打目)


 野球のバッティングフォームは選手毎に特徴があり、それを見ている我々があの選手のフォームは変だとかは言わないものです。
 我々世代のホームラン王であった王選手の一本足打法も、見方によっては変わった打ち方だったわけですが、結果を出していれば何も問題はなかったのです。


 テニスでも卓球でもスイングに特徴のある選手は多く、それは選手個々人の特性であり、きちんと打ち返すことができていれば全く問題はありません。
 それどころか、戦法の違いで例えば卓球ではカットマンとドライブ主体とでは球の打ち方のフォームそのものが真逆になるもので、ドライブを打つためにはラケットを下から上に振り上げますが、カットマンに「もっとラケットを下から上に引き上げて」などとは指導しないものです。


 ゴルフがいかに情報だけが氾濫しているかの理由は、ゴルフ雑誌やYouTubeなどから種々雑多な情報が発信されているからです。
 他の球技ではよほど正しく打てない初心者を除き、フォームの修正などは各人が感覚の中で行うもので、他人のアドバイスは合う合わないがあるため選手本人のことを熟知しているコーチくらいしか口出しはできないし、すべきではないのですが、ゴルフは正解がないことをよいことにいろんな人があれこれ他人に言いすぎる傾向にあります。


 いわゆる「教え魔」の存在はゴルフくらいで、教える内容を当人が実践できればまだしも「そう書いてある」との言い訳で逃げる無責任な教え魔が横行しているのが現実です。
 ゴルフでは結果でなく単なる途中経過に過ぎない切り取った一瞬の形に拘る人が多いのも特徴で、いくらその一瞬だけに拘っても全体のバランスを保てなければそれは無駄なことなのです。


 何のためにスイングするのか、それは思ったような結果を得るためですが、ゴルフではそこが難しいためいろんな考え方が生まれてしまうのでしょう。
 そこにYouTubeという素人でも発信できるツールが生まれ、悪いことにそこに利益が生まれるシステムになってから、ますます目を引きたいがために逆張りの意見を表題につけるケースが多くなり、それを真に受けた視聴者が迷路にハマっていくことになりがちです。


 私は言いたい、スイングなんて「結果を出すためのもので自由だ!」と。