三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

無駄な時間を使わない

 今日は晴天の木曜日ですが、ラウンド予定はなくYouTube動画でパソコンやゴルフ関係の動画を視聴しています。
 この中で、久しぶりに見た動画の悪口を書こうとしていますが、そのためには最後まで動画を見るしかなく、見ることで収益化に貢献しているかもしれず、アンチもまたファンの一人だということになってしまいます。


 さて、最近は「アプローチの達人」と2人で阿蘇ハイランドのコースをよくラウンドしていますが、トップスタートの場合はハーフ1時間ほどで回っています。
 1時間とはいっても特に急ぐわけでもなく、途中でコース整備でカップ切り直しが入っていると、ティーで待機して作業を終えるまでプレーを中断しているほどです。


 時間がかからないのは、無駄な時間を使わないように2人共に心がけているためです。


 まずティーショットでは打つ順番が事前に分かっているから、レギュラーティー使用の私とフロントティー使用の達人では、前ホールのスコアに関わらず私が常に先に打つことになり、いちいちどちらが先なのかを考えなくて済みます。


 そのためカートへのバッグ積み込みも私が右側にしていて、結果的にホール間の運転は達人がすることが多く、次のホールに向かう際に私は次のティーショットの準備をすることができます。
(私はパターで手袋を外すため、カート内で手袋を嵌めたりして準備します)


 ティーショット後には私が運転して達人を乗せてセカンド地点に向かうのですが、ほとんどの場合、達人がセカンドオナーになるため、達人のプレー中に私は次の準備をすることになります。

(過去に公開した1番パー4の進行の流れの動画です)


 また、通常は運転者でない場合は後席に座りますが、パー3のホールなどで私がショートした際は達人は助手席に乗り込み、私は手前で下りることになるため、達人はそのまま運転席に横移動してカート停車位置に向かうことになります。
 カートを回している間に1人がアプローチを終えることになり、達人にいたっては私がカートを置いてグリーンに来た際にはパットまで終わっているケースも多いのです。


 小さなことですが、お互いにカート後席に乗り込む際は動かして良いという意味で「はい!」や「OK!」と声をかけるようにしていて、私は片足を乗り込むと同時に「はい」と言っています。
 それはカートはエンジン式なので、動き出すまで少しタイムラグがあるためで、ちょうど腰を席に下ろした頃に動き出すタイミングになります。


 時間短縮のための最大の効果として、グリーン上のプレーに二人ともあまり時間をかけない部分があります。
 これは何度も回っているので、ある程度の傾斜は頭に入っているためですが、それでも時には反対に切れてしまうこともあり、パットが決まるのはほぼ時の運だということです。


 1人予約などにも、グリーン上で常に歩測して何度も傾斜を確認して決めきれない人はよく居ますが、上手いはずのトッププロでさえ早々にパットが入らないから連続優勝が困難なわけで、一介のアマチュアが無駄なことをして易々パットを決めることなどないのです。


 私は歩測すること自体の意味が分かりません。〇メートルだからこのタッチでという意味だと予想しますが、果たして効果があるのかと不思議です。
 それはグリーンには傾斜もあるし、転がるスピードも違うためで、歩測するということは正確に〇m〇㎝だと把握するためですが、見ただけでほぼ〇mくらいとはだれでも把握出来るもので、果たして細かく計測してその効果があるのかは非常に疑問です。


 歩測が癖になっている人は、その分時間を無駄に使っているわけで、時間を節約できない人がスコアを節約できるとは私は思っていません。
 パットの距離感なんて、その名のとおり「感」であり、それを数値化することなどできないため、無駄な時間を使うくらいならその時間を傾斜の読みに使った方が絶対に有意義だと思っています。


 歩測する人は、見ていると計測のため歩幅を広くしてグリーン面に強く着地するように見えますが、これでは足の裏で微妙な傾斜を読み取ることはできないはずで、歩測でピンまで歩くくらいなら普通の歩き方で足裏に神経を集中して傾斜を感じ取る方はずっと効果的だと私は思っています。


 私は厳しい言い方になってしまいますが、プロのプレーが遅いからアマチュアが真似すると思っていて、昨今のゴルフではスピードアップが求められるのにお手本となるプロのプレーが相変わらず時間ばかり取ることに本心では「プロとしてどうなの?」と思っています。


 プロがアマと違うべき部分は、アマチュアができないことを見るからに簡単そうにやって見せる部分であり、グリーン上で無駄に時間を取って結局は決めきれないのであるなら、アマと同じであり、だったら最初から時間を使うなと言いたいのです。


 なぜ、たかがゴルフが少しくらい上手いからと言って、その辺のお兄ちゃんやお姉ちゃんがサラリーマンが1年かけて稼ぐ額以上の賞金をたった数日で稼げるのかと考えれば、プロの存在価値は自ずと分かるはずで、最近は自分が「見世物」の対象であるということを忘れたプロが多すぎます。


 ゴルフのルールではゴルフで一定額の金額を得るとアマの資格を無くすと規定するように、アマチュア精神が重要視されています。
 そのため以前のプロゴルファーの地位は決して高くなく、それどころか蔑まされる存在だったわけで、先人たちの必死の努力で今の存在に繋がっていて、そこを忘れてしまえば、結局は元の木阿弥だということです。


 ゴルフ自体の人気が無くなるとスポンサーも着かなくなり、あっという間に衰退してしまう職業なわけで、同じようなプロ制度があるボウラーと比較してまだずっと高額な賞金が得られるうちに、もう少しプロとしての存在意義を教育しておくべきだと思うのは余計なお世話なのでしょうか。