三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

JR立野駅に行ってみる

 今日は10月最後の日になる日曜日ですが、衆議院選挙の投票日にもなっていて、夕方までには投票に行こうと思っています。
 それにしても、現政権がこれまでやって来れたであろう政策を声高に主張する姿には疑問を感じていて、よくぬけぬけと連立相手の党も含めほざけるものだと呆れています。


 野党側の主張は数の力で与党に負けるため通りにくいことは理解できても、与党側はこれまでも今回主張していることを実行できる状況にあったわけで、今更、やりますと主張されても実現性に疑問を感じているものです。


 もし、与党側の主張が本気であれば、なぜこれまで自分たちが出来なかったかの理由を説明し、その障害になったものが何か、それをどう排除すればよいかという方法論を示すべきで、それはこれまで続いた安倍・菅政権の否定にも繋がり、それが果たしてできるの?というものです。


 結局、どんなに変化があっても自民党が第一党であるであろうことは間違いなく、だからこそ少しでも議員側が緊張感のある姿勢を持つことが重要で、これまでのようないい加減な説明にならない説明を続けていれば、国民から見放されると思える常識的な議員を増やしたいものです。


(立野駅は駅舎はなく、対面式のホームがあるだけの無人駅です)


 さて、27日のラウンドの帰りに、時間があったためJR豊肥線の立野駅に寄ってみました。
 私は、鉄道マニアではありませんが、なぜか鉄道に一種のノスタルジアを感じていて、それは幼少の頃に父親に自転車の荷台に乗せられて、郊外を走る列車を見に行ったことが原風景にあるように感じています。


 亡き父は鉄道郵便局という現在は廃局された郵政職に就いていて、仕事場は列車の最後尾に繋がった郵便マークがついた郵便車の中で、鹿児島本線を毎日のように往復していたものです。


 一昨年まで3年連続で行っていた北海道では、ゴルフ場に行った帰りに最寄りの駅に立ち寄ることも多く、廃線になった駅跡に降り立つと、何か懐かしさを覚えるのは物心つかない時期に父に連れられて行った鉄道の風景が脳裏に焼き付いているからなのでしょう。


 JR立野駅は、豊肥線(熊本~大分)の現役の駅ですが、無人駅になるものの、以前は南阿蘇鉄道(旧高森線)の始発駅も兼ねていました。
 私の母が高森町の野尻という大分・宮崎・熊本の県境の出身で、旧高森線には子どもの頃に何度か乗る機会がありました。


 国鉄民営化後に第3セクター化された南阿蘇鉄道は、2016年4月16日の熊本地震で白川第一鉄橋などが甚大な被害を受け、現在は全長17.7Kmの営業区間中10Kmほどがまだ不通区間になっています。
 特に立野駅〜長陽駅間は、2つのトンネルで内壁の崩落や亀裂が見つかり、鉄橋の橋桁も損傷し、線路も250mにわたって流出してしまいました。

(立野駅ホームへは右方向から階段を降り、線路を横切り、左手に見える通路を通って向かいます)

(錆が出たレールは南阿蘇鉄道に通じるものですが、現在はこの先で砂利を盛り上げ通行できないようになっていました)

(立野橋梁は、九州には珍しい「トレッスル橋」だということです。奥の方で立野ダム建設工事が行われています)

(以前の立野橋梁はこんな感じで列車が走っていましたが、現在は不通区間になっています)

(南阿蘇鉄道の名物「トロッコ列車」が走る、在りし日の第一白川橋梁)


 上の画像は以前の第一白川橋梁です。熊本地震で甚大な被害を受けてしまい、今年になって解体され新しい橋の建設が進められています。
 橋の高さは60mあり、私も高森線に乗って通ったことが何度かありますが、左右をトンネルに挟まれた橋で、暗いトンネルを抜けると渓谷の上で、子どもの頃は「下に落ちるのでは」と、とても怖かった記憶があります。


 また立野駅は、別の面でも有名な駅です。それはJRには数少ないスイッチバック停車駅というもので、この区間は急傾斜地のため、熊本方面から大分方面に向かう列車は、立野駅で進行方向がいったんは逆になり、スイッチバック地点まで上り、そこでまた進行方向を変えて大分方面に向かうというものです。


 豊肥線は非電化の単線ですが、見学しているときになぜか立野駅に同方向から2つの列車が侵入してきて、ホームの左右に分かれて停車しました。
 右は、14時3分着・14時5分発上り熊本行の特急「阿蘇」で、左は14時2分着・14時11分発下り宮地行の「普通」です。


 立野駅はスイッチバック停車駅なので、同方向から上りと下りの列車が侵入してくるもので、色違いの列車が連結ではなく、前後になり同時に左右に分かれてホームに入って来るのは単線の駅では珍しい光景です。


 右に停まっていた特急「阿蘇」が先に出発し、学生風の女性を車で乗せてきた母親風の女性が手を大きく振って見送っていました。
 微笑ましくはあるものの、親として見るとなんとなく胸が痛くなりそうな光景でした。