三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

国民も馬鹿か?

 昨夜、馬鹿総理のマスク2枚配布発表報道を見て、思わず我を忘れてコメントを書いてしまいました。
 こうした感情的なコメントは、ほとんどが一晩寝て見返すと恥ずかしくなるものですが、今回ばかりはまだ怒りが収まらないというかますますこみ上げてくるほどです。
(Yahooコメントの件は、あまりの書き込みの多さにしばらくアクセス不能になっただけで後で確認したら載っていました)


 私は以前からアンチ安倍ですが、こんな無能なリーダーを国民が選んだのだと思うと、国民の馬鹿さにも改めて怒りを持ったほどです。


 私は元公務員なので、初任のときから「文書主義」を叩きこまれました。「決裁」の重要性も同じで、いったん上役が印を押した文書をその後に改ざんすることは絶対的なご法度だと身に染みています。
 もし、間違いがあるなら再度「起案」をし直し、前回の間違いである決裁文書を添付して再度決裁を受け直し、その間違いを訂正した証拠として新旧の文書を併せて保管し、後日に誰が見ても経緯がはっきりわかるように残すことを教育されていました。
 つまり、公務員の仕事=文書主義の原則であり、文書をないがしろにする公務員はいないはずです。


 財務省職員の自殺の理由が「公文書書き換え」になっていて、こうした公務員の「文書」に対する姿勢を知らない一般国民は「たかが書類の書き換えごときで命を絶つなんて」と疑問に思っている人もいると思います。
 しかし、そうした「文書」教育を受けていれば、正規の手続きなしに上からの命令で改ざんすることは、いわば自分自身を否定することと同様であり、その心理的抵抗感は想像以上のはずです。


 マスコミなどで、よく「お役所は文書、文書と形式にこだわるためスピーディーさに欠ける」と批判しますが、国民の奉仕者としては自らの行為を全てオープンにするためには文書に残すことが重要だと考えているからです。
 常に第三者の目を意識して職務を遂行する癖があり、自分の職務行為を他人の目として見て「大丈夫か?」「説明可能か?」という視点に立って常に検証しながら仕事をするのが公務員なのです。


 だから公務員は前例主義にならざるを得ず、前例があればすぐに実行できますが、前例がなければ、その時点で新たに「意思決定」を文書で行う(起案して決裁を受ける)時間が必要になり、その担当者によほどのやる気がなければそこまでやろうとはしないのです。
(決裁を取るためにはかなりの人数の印をもらう必要があり、1人1人に説明をするため時間と労力を必要として通常業務に支障をきたす上、徒労に終わることも多い。それは上役も前例主義なので、なかなか納得してもらえないことが多いため)


 もし、このシステムを崩すような上からの要求があれば、後追いでもその要求に基づく決裁文書を作成し、少なくとも結果責任を自らは負おうとしないのが公務員の性です。
 こうした文書作成さえも許されない場合、個人的なメモ(誰からいつ、どんなことを要求されたか)を作成するもので、それは万が一の場合に「自分の責任回避」を図るためには必須のもので、まず間違いなくこうしたものは各人で作っているはずで、作らない方が少数派です。


 現在の安倍内閣は、まさしくこうした公務員の習性を知らない集団であり、1つの文書を廃棄・改ざんすれば隠し通せると思っているのでしょうが、命令された末端の職員は法令に違反する怪しい案件の場合は必ずその経緯を書いた文書(紙とは限らずパソコン上にもある)を個人的に保管しているはずで、今は怖くて出せなくてもいつか自らに火の粉を浴びることになれば、必ず出すことになります。


 こうした文書は「公文書」には当たりませんが、職員が職務上に作施したものであるため「行政文書」に当たります。


 現政権はさまざまな「違法行為」を重ねていて、彼らが権力に居座る間は先ほどの行政文書はなかなか出にくいのですが、トップが変わり担当者が責任を追及されるような事態になれば、いろんな場所からボロボロと出てくるはずです。
 それが公務員の悲しい性なので、そうすれば安倍政権のほとんどは逮捕されることになるはずです。


 今回のコロナ騒動で露呈した、現政権が国民に寄りそう意識が皆無な実態を見て、このままでよいのかと有権者に問いたい気分です。
 他党への政権交代までは求めなくても、自民党内に少しはまともな勢力が残っていると信じて、そうした新しいリーダーに変えるべきではないでしょうか?
 そのためには、1人1人の意思発信が必要な時期なのです。


 このままでは日本は終わってしまいそうです。