三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

ちょっと心配なこと

昨日は阿蘇グランビリオゴルフ場でラウンドした後、いつもの「二重の峠」越えになる帰り道でなく、俵山トンネルを利用して帰ってきました。


熊本から阿蘇への経路は、以前は国道57号線でしたが、熊本地震の際に「阿蘇大橋」が崩落し、国道57号線も併せて不通になっていて、北側の阿蘇市方面は「二重の峠」越えルート、南阿蘇方面は「俵山トンネル」ルートが一般的です。


最近は長陽大橋が完成しましたが、私はまだよくそのルートが分かっていないため、阿蘇グランビリオや赤水は阿蘇市にあることから「二重の峠」越えルートをこれまで通り利用しています。


昨日はなぜわざわざ遠回りになる「俵山トンネル」ルートを利用したかというと、「流離のゴルファー」の自宅を訪問してみたいと思ったのです。


「流離のゴルファー」は70歳を過ぎた老ゴルファーですが、もともとは関東で歯科医院を開業されていて、数年前に縁もゆかりもない南阿蘇に単身で移住されてきた方です。
1人予約で何度かご一緒する機会があり、北海道へのゴルフ旅についてその魅力を教えていただき、昨年行ってみたいと思ったきっかけを作ってくれた方です。


昨年は、同時期に北海道に渡り、特に7月からの2週間は稚内からオホーツク海を南下するゴルフ旅をご一緒した縁もあり、今年も行く前に渡道する報告をしています。


ちょうど6月9日に富良野ゴルフクラブでラウンドする前の時間に「流離のゴルファー」から電話をもらい、15分ほど話したのですが、スタート前だったこともあり、続きは帰ってきてから詳しく聞きますと言って切ったところです。


「流離のゴルファー」は昨年、転倒して腕を骨折しゴルフができなくなって時間ができたので、自分の祖先の調査をしているとのことで、その時の電話の内容はなぜか私の祖先との繋がりを見つけたというものだったのです。


熊本に帰ってきてから「帰ってきました。」と報告しようと電話をしましたが、呼び出し音だけで応答がありませんでした。
これまでは、ワンギリでも着信があれば、その日のうちか翌日には電話をくれていたのですが、今回はその後も電話がなく、高齢の独り暮らしでもあり、心配していました。


一昨日のグランビリオでのラウンド後にも電話を入れてみましたが、やはり応答なしで、昨日もラインメッセージやライン電話、一般の電話をしてみましたが応答なしでした。


一昨年だったか、一度自宅に行ったことはありますが、「流離のゴルファー」の運転する車の後をついて行ったため、場所の記憶がおぼろげだったのです。
自宅は南阿蘇村の別荘地の中にありますが、当時は周りに空き地があったのに、最近は新しい住宅が建て込んできて、イメージが大きく変わっています。


記憶を頼りに狭い通路を通って、たぶん近くまでは行けたと思いますが、どうも記憶とは違っていて、「流離のゴルファー」の自宅を発見することはできなかったのです。
近くから電話をしてみましたが、やはり応答はなく、その辺りは新興の別荘地なので、住人に尋ねても分からないだろうと思い、不審者がうろつくことに対して警戒されるかなと心配し、とうとう探すのを諦めて帰ってきました。


結局、昨日も電話を4回ほどかけましたが、今日現在、応答があっていません。
調べられていたご先祖様の話を聞きたいこともありますが、高齢のため病気などで倒れていないかがまず心配です。


もっとも元歯科医ということで、健康問題にはかなり詳しい知識を持っておられ、昨年の北海道で私が体調不良になったとき、胃腸の不具合から体調を崩すことがあるからと胃腸薬を紹介してくれたり、ヨーグルトを食べるように勧めてくれたりもしました。


私が高血圧の持病を持っていると話したら、「睡眠時無呼吸症候群」を患っているかもとアドバイスされ、かかりつけ医の紹介で総合病院で精密検査をした結果そうだと分かり、C-PAP治療を始めたのも、この方のおかげです。


いわば命の恩人でもあり、なにかと繋がりをこれまでは持っているところです。


もっとも「流離のゴルファー」と名付けたように、宿泊できるようにご自分で改造した車に乗って、日本全国を一人旅されるため、もしかするとどこかに行かれているのかもしれませんが、何日も応答がないことに心配しているのです。


電話以外に繋がる方法がなく、数日前から頭の片隅に心配の種として残っています。


明日も赤水まで行くので、もしかしたらまた自宅を探しに行くかもしれません。