三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

今日は亡き母の四十九日法要

 今日の熊本は晴ですが、空にはなんとなく薄曇りのように靄状のものがかかっているので、黄砂の影響があるのかもしれません。
 日本気象協会のtenki.jpの黄砂情報をみると、大量ではないもの西日本には黄砂の影響がある予報なので、この時期はすっきりした青空の天気にはならないようです。


 今日は当初は阿蘇ハイランドの早朝枠を予約していましたが、それは亡き母の四十九日に当たる日を明日だと勘違いしていたからです。
 母は2月29日の未明に95歳で息を引き取りましたが、28日の0時前に入所した施設から兄に「チアノーゼが出ている」と連絡があり、とりあえず私が兄を車に乗せて施設に向かいました。


 この数日前から母は相部屋から個室に移っていましたが、それは医師の診察で「老衰」だと言われ先は長くないとの見立てが出たためで、面会制限がない個室で家族などが最後のお別れに行けるように施設側が配慮してくれたのでしょう。


 その間の母は呼びかけにわずかに反応する程度で、その様子を撮影すると見た目では分からなかったいわゆる「死相」が画像には現れていて、死期が近いことは覚悟していました。
 ただ兄はまだ楽観的で「もうしばらくは大丈夫」だと言っていて、私もそうかもと思って日付が変わった29日はいったんは帰ろうとしたほどです。


 そこで帰らなかった理由はよく覚えていませんが、結局兄と一緒に母の個室で待機していると、最初の1時間ほどは比較的大きな呼吸音が聞こえていましたが、これは「死前喘鳴」と呼ばれる現象だったようです。
 しかし、呼吸音が徐々に弱くなり始め「これは」と思って近くに寄っていると、モニターで気づいた施設の担当者が部屋にやって来て「呼吸が停止しました」と我々に告げ「医師を呼びますのでしばらくお待ちください」と言われ、それから医師の施設到着を待ちました。


 担当者がやって来た際に、母は大きく息を吹き返したような様子が見え私と兄が異口同音に「生き返った」と言いましたが、どうやらそれは死亡直後に起こる「死戦期呼吸」という現象だったようです。
 この話を葬儀などのお願いにいったお寺の住職に話したところ、そのお坊さんも同じ経験をしたと言っていて、ネットで調べると心停止直後に見られるものだとあります。


 医師の診断時は別室で兄と待機しましたが、呼ばれて個室に入り医師から正式に死亡宣告があり、担当者から「遺体は速やかに引き取ってください」と告げられ、ここで慌ててしまいます。
 病院などでは霊安室があるため、すぐにどうこうということではないのでしょうが、母は施設に入所していたため施設には霊安室などの設備は無く、真夜中でも遺族が引き取らなければならないことをそのとき始めて知ったのです。


 施設の人が自宅に連れ帰るか、しれが無理なら葬儀社に連絡すると引き取ってもらえますと教えてくれ、慌てて葬儀社の電話番号を調べ電話すると、向こうもよくあるケースなのか深夜2時頃でも電話に出て、いろいろその後どうするかを教えてくれ、結局とある葬祭場の部屋に仮安置することになりました。


 1時間ほど待っていると葬儀社の車と担当者が来て、母をストレッチャーに乗せ換え、車まで運んでそのまま乗せ、目的の仮安置用の葬祭場へ向かいました。
 たまたま希望した自宅から近い葬祭会館が当日に予約があり、部屋が空いていない理由で別の空いていた葬祭場の部屋に仮安置することになったのです。


 本来は誰かが付き添っている必要があったのかもしれませんが、母の仮安置の部屋で葬祭場の担当者と通夜や葬儀などの細かい打ち合わせをしていると朝になり、私と兄は徹夜だったしその後の通夜や葬儀のために休んだ方がよいと考え、母を残して自宅へ帰りました。


 葬儀は家族葬で行うことは決めていて、それは母は高齢だったので友人知人も既にこの世におらず、家族だけで見送りたいと思っていたからです。
 本来は29日通夜で3月1日葬儀の日程だったのでしょうが、希望する会館の空きがないことから一日ずらして3月1日通夜で2日葬儀と決めたのは、遠方からやって来る姉たちの都合も考慮したためですが、実際は我々にとっても時間の余裕が出来て助かることになりました。


 29日はゆっくりできるのかと思っていてもそうではなく、朝から兄へは葬儀社の担当者から生前の母の事を問い合わせる電話があったり、私は私で葬儀に使う遺影用の画像準備や葬儀で流すビデオ作りで寝る暇がありませんでした。


 そんなこんなで慌ただしく通夜・葬儀と無事に済み、徐々に普段の生活に戻りましたが、まだ母のわずかな遺産である銀行預金や実家の所有権移転の手続きが残っていて、明日は午前中に兄と法務局へ行き、移転登記手続きのための書類の事前チェックと可能なら提出まで終えたいと思っています。


 こうしたわずかな遺産は兄姉妹弟4人で話し合い、全てこれまで母の世話を任せていた兄が相続することに決めていて、私はこうした手続きには直接は関係ない立場ですが可能な部分は手伝いたいと思っていて、明日も私が車に乗せて法務局へ向かう予定です。


 今日は11時から依頼していた坊さんが来て四十九日法要のお経を上げてもらい、終わった後は参加した4家族で昼食会をしました。
 仏教の教えでは故人は死後この世から中陰と呼ばれる世界へ行き、極楽に行くか地獄に行くかの審判を待つことになりますが、49日間は残された遺族は一生懸命に故人のために極楽へ行けるように祈ることになる期間だそうです。

 ただ実家は浄土真宗なので、真宗の教えでは故人は死後すぐに極楽へ行くとあり、死後の法要は「故人へ感謝を伝えるもの」という位置づけになるようです。


 何はともあれ、今回は初七日から始まり1週間ごとに実家でお参りをするささやかな法要らしきことを行いました。
 内容は仏壇の前で祈り、集まってお茶会をするような程度のものでしたが、真宗でいう故人へ感謝を伝えるというより「故人を偲ぶ会」のようなものでした。


 四十九日を過ぎてやっと忌中が明けることになりますが、私はそこまで信心深くは無く、葬儀後もすぐゴルフに行ったりと普段の生活に戻っています。
 とりあえず、これで一つの区切りが終わったということで、今後は徐々に私自身が次の出番を待つ時期になるのでしょう。


 今日のチャオ。毛を刈った分、動きが軽やかになったように見えます。