三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

初七日法要も無事に終わる

 今日の熊本は午前中は薄曇りという天気でしたが、北風が強くそこまで寒さはないものの最低気温はまだ一桁台と春にはなり切れていません。


 今日は阿蘇ハイランドの早朝枠を「アプローチの達人」が予約していましたが、昨日の夕方に「明日は大丈夫ですよね?」とlineのメッセージが達人から入り、慌ててキャンセルのお願いをして「ゴルフ場には私が連絡します」と返信しました。


 すると達人から「今後もルールとして予約者がキャンセル連絡するようにしましょう」とあり、今朝になって達人からキャンセル連絡してもらったようで、私の連絡ミスで達人にも迷惑をかけてしまいました。
 この「キャンセルの場合は予約者が連絡」というルールはこれまでも暗黙で両者の中にあったものですが、今回は私の都合で急にキャンセルになったのだし、その連絡も遅かったため「私が連絡します」と伝えたのですが、達人的にはせっかく上手く回っていてルールなので壊したくはなかったのかもしれません。


 そのラウンドをキャンセルにした理由が、今日の11時から亡き母の初七日をすることで、達人にも今日することは伝えていましたが「開始時間が午後からだったら行けるかも」と付け加えていたため、連絡がないから確認連絡が来たのでした。
 昨日はあいさつ回りから帰ってすぐに兄宅でお茶に呼ばれて、17時近くまでいろんな話をしていたので私はすっかり達人に連絡することを忘れていたのです。


 達人に返信してすぐにゴルフ場にも電話しましたが、既に業務終了というメッセージだけしか流れず、結果的に今朝の連絡しかできないようになってしまっていました。


 そんなことで今日の初七日を迎えましたが、母の死去からもう一週間も経ったのかと時間の経過の速さに驚くほどです。
 11時から開始と坊さんとは昨日確認していましたが、11時10分になっても姿が見えず、兄が寺に電話で問い合わせしていると入り口の門に袈裟を来た坊さんの姿が見え、私が慌てて出迎えに行きました。


 本人による遅れた理由は「違う場所を20分も彷徨ってしまい、道に迷った」ということでしたが、85歳近くになる年齢で車を運転することに逆に大丈夫かと心配してしまいます。

 結局、予定より15分遅れで初七日の法要が始まり、当初は私と兄だけでと思っていましたが兄の娘2人が来る予定はなかったけど来れたといって出席してくれ、6人+幼子1人という思ってもいなかった数になり、無事に初七日法要を終えることができました。


 これで一通りの行事は終わり、次は6週間後の四十九日の法要ですが、ウキペディアによると浄土真宗では初七日や四十九日の法要はそこまで重要視していないとあり、確かに浄土真宗は信心深くなくとも「南無阿弥陀仏」さえ唱えると誰でも極楽に行けるという教えだと私は思っていて、他の宗派のように極楽に行けるか地獄に落ちるかの審判が行われる死後7日間に、この世に残された者たちが一生懸命に祈って故人が天国に行けるよう応援する必要などないはずです。


 そうは言っても坊さんも所詮は職業の一つであり、糧を得るためにはお布施というお礼を貰う機会が多いことに越したことはなく、今回も坊さんから葬儀後の法要をする時期を載せたプリントを貰っていて、一般的に知られている年法要以外にもたくさんあることが分かります。


 読経が終わって坊さんは少し雑談をして帰ってゆき、私は兄宅の応接間で弁当を頂くことができましたが、そのまま14時過ぎまで長居をしてしまいます。
 雑談の中で施設に入る前の母の様子について兄が話し始め、母本人は見舞いに来た人などに自分の大変さをよく愚痴っていましたが、実際は周囲が大変だったそうでした。


 これは私も感じていて、母が常に後ろ向きの考え方をする人だとはずっと思っていましたが、本人はいわゆる口先で嘆くだけで、実際の大変な部分は周囲の者がカバーするようなことが多く、特に亡き父には人前で父本人に失礼なことを言ったりしていましたが、それでも私が知っている期間の父は怒りもせず、どうにか嘆く母が納得するような方向で事を収めていたようです。


 そうした両親の気質は我々兄弟姉妹も引き継いでいるはずで、自分自身でも感じますが妙に細かいことに拘るけど、実際にその局面になると急にいい加減になるという掌返しのような部分もあり、どちらが本当の自分なんだろうと思っていますが結局は両親の性格を少しずつ併せ持っているのでしょう。

 上の表は、母の部屋の壁に貼ってあったもので、以前に見舞いに来た長姉が書いたものだと兄から聞きました。
 兄によるといわゆる「母の一日の目標」ですが、「朝8時頃には起きる」ことが目標ということはほとんど8時には起きれなかったというのが真相であり、顔を洗ったり髪をとくことなども面倒でやっていなかったということです。


 逆にいうと、睡眠をたっぷりとれていたことが長寿の理由だったのかもしれず、年寄りだから早起きという図式ではなかったことが分かります。
 足上げは兄が体力維持のために母にやらせていたものですが、母本人は「いじめ」だと思っていたのかもしれず、なかなか素直に兄の言うことを聞かなかったとのことでした。


 施設に入り、やっとそこで手を「グーパー」する体操は素直にやるようになったそうですが、自宅にいる間は足腰の老化を遅らせようと兄が日課にしたかった足上げはもちろん、簡単な掌を閉じたり開いたりする「グーパー体操」でさえも素直にやってくれなかったと言っていました。


 そんな頑固で「口だけ番長」風の母ですが、当初は黙って母の言うように行動していた父も母の影響を受けたためか、徐々に母と同じようなことを言い始め兄たちを困らせていたようです。
 
 両親はともに亡くなってしまいましたが、それぞれの晩年になって周囲で一番お世話になった方々に逆に迷惑をかけるどころか失礼な言葉を浴びせていたことに何もしていなかった子どもとしては申し訳なさが一杯で、そんな両親でも一生懸命に最後まで面倒を見てくれた兄夫婦に感謝をどれほどやっても足りないくらいです。


 そんな兄も一気に老け込んだように見え、人生で一番充実するはずだった退職後の四半世紀を両親の介護で使ってしまったことに申し訳なさでいっぱいです。
 本当にお世話になりました。残り人生は短くなりましたが、元気なうちに夫婦で好きなことをしてください。ありがとう!


 今日のチャオ。外は風が強かったけど、そこまで気温が下がってないので寒がりのチャオでも大丈夫そうでした。