変な天気だった
今日は平日の金曜日ですが、当初からラウンド予定はなく、自宅でパソコンを触ったり
CS放送でモンドチャンネルなどを視聴しています。
午前中には一気に薄暗くなり大きな雷鳴も響き始め、雨雲レーダーを見ると厚い雨雲が天草から熊本市南部を通過しましたが、幸い自宅の上空は少しその雲の流れから外れていたので、雨量は大したことはなく、昼からは快晴に戻っていて、今日は変化が目まぐるしい天気になりました。
(麻雀牌の種類。数牌と字牌に分かれていて、数牌は「索子」「筒子」「萬子」の3種類に分かれ、字牌は「風牌」と「三元牌」に分かれます)
CS放送のモンドの麻雀番組には、名人戦やモンド杯。それに女流モンド杯などがありますが、私は女流の戦いを中心に視聴していて、それは名人戦は良く言えばいぶし銀の、悪く言えば地味な戦いに対し、女流は圧倒的に戦いを好む内容になり見ていて面白いからです。
ゴルフでのスコアを崩さないコースマネジメント同様に、麻雀も負けない牌捌きが必要だとは分かっていますが、名人戦は千点・2千点の黙聴という地味な手が多いイメージがあり、リーチがかかってもなかなか勝負に行かない傾向が高いように感じています。
対して女流は戦いを好むプレーヤーの比率が多いためか、上がり役も満貫や跳満・倍満と派手で、見ているものをワクワクさせる対局が多いように感じていて、私は対局者もプロだから単に勝率を求めるだけでなく、視聴者向きの面白い内容は絶対に必要だと思っているのです。
プロゴルファーが安全策だけのプレーヤーばかりだったら、テレビ観戦しても面白くはなく、ましてや現地で観戦したいとは思わないはずで、プロがプロである所以はファンにどれだけアピールできるかという部分であり、パフォーマンスはプロである以上絶対に必要な要素なのです。
何の大会かは忘れましたが、かなり以前に藤田プロが優勝を争っていた大会で、パー5のホールで届かないとは分かっているのに敢えて森越えのセカンドショットを打ったことがありました。
私の中では優勝者が誰だったのかの記憶は無く、当時は中堅プロの藤田プロが左ドックのパー5で森をショートカットするセカンドを選択し、結果的に森の中に打ち込んで優勝に届かず、それどころかスコアを落とし順位を下げたことの記憶しかありません。
ただ、この姿勢はプロとして素晴らしいと今でも私の記憶に残っていて、追いかける立場で刻むような選択は藤田プロにはなく、無謀と言われようとも見ているファンに期待を持たせた場面を作ったことでプロ魂の持ち主だと思ったのです。
その後、藤田プロが40歳前後でトップの地位になれたことは、こうした姿勢がきっとゴルフの神様から好かれたからで、当時は飛ばないプロの代表的な存在だったのに、そのファイティングスプリットにプロとしての存在意義を大いに感じたものでした。
以前も書きましたが、大会の優勝者1人だけが目立つのではなく、出場選手の全員がパフォーマンスすることで、その大会全体が盛り上がり優勝者をより目立たせるもので、結果的に負けてもその他大勢の1人にならないような心構えがプロとして必要な要素のはずです。
しかし、昨今はそれを忘れたプロと言えない自分さえ良ければという選手が多すぎるように感じていますが、結果的にファンにアピール出来ない選手ばかりになってしまえば、本来は興行というべきプロトーナメントの魅力を失っていくのは必然だということです。
パフォーマンスするということは、技術もそれなりに必要であり、難しいショットを簡単そうに打って行くこともプロのキャラクターとして必要です。
アマチュアの手本となるべきプロの中にはルールに違反するような酷いスロープレーがあるのも事実で、なぜ協会は毅然とした態度を取らないのかが不思議で流行りの「忖度」なのでしょうか。
しかし、そんな部分からファンは愛想付かして離れて行くもので、選手にプロ意識が薄いのであれば協会がしっかりと教育していくべきで、それをしないのであればゴルフ界の将来は暗いということです。
ゴルフには何も創造性などの部分はなく単なる遊びなので、広告としての価値が無くなればスポンサーは付かなくなり、大会を開いても誰も高額な賞金など得られないことになります。
この当たり前なことが分からないプロとは言えないような選手が多くなってきたことは感じていて、そのうちにテレビでの放送枠も無くなり、スポンサーもそっぽを向くような事態に陥ってしまいそうです。