三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

どんど焼き

 今日は1月12日の日曜日ですが、私が住む町内では「どんどや」が行われ、朝から昨日裏山から切り出した竹の運搬を地区の子どもたちが行うため、手伝いました。
 自宅の裏山は、私が小さな時期は桃の木が植えられた段々畑でしたが、40年ほど前に急傾斜地対策事業で高さ5mのコンクリート擁壁が作られ、直接に裏山に行くルートがなくなり、併せて桃作りに携わっていた両親も高齢になったため、裏山での桃作りは擁壁完成に合わせて終わっていました。


 しばらくは両親が草刈りなどは行っていたものの、だんだんと手入れが出来なくなり、結果的に竹の勢力が増して竹林になってしまいます。
 台風などで竹が折れ、自宅の屋根に覆いかぶさってしまう場合もあり、おもに1月の「どんどや」に併せて隣家の兄が竹を切っていたのですが、4年前に同じ「どんどや」への竹提供のため、地区の方々と竹切りを行っていたときに擁壁の上から足を滑らせ、5m下の側溝に落ちて大けがをし、その後は竹の提供そのものを止めていました。


 そのため、擁壁から弱った竹が自宅側に倒れている状況だったのですが、とりあえず垂れてきている竹だけを除去し、今年の「どんどや」に提供することにしました。
 少々の竹とはいっても2~30本はあり、運搬には人手が必要でしたが、今朝8時半に小学生がやってきたので、すぐに片付くことができました。


 「どんどや」は私が住む熊本市西部の呼び名ですが、調べてみると正式には「左義長(さぎちょう、三毬杖)」というようで、「小正月に行われる火祭りの行事であり、地方によって呼び方が異なる。」とウィキペディアには載っていました。


 「日本全国で広く見られる習俗である」とのことで、「1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く」とあり、まさしく同じ行事だなと思ったところです。


 私が小学生の頃は、「モグラ打ち」と称する行事の翌日が「どんどや」で、この2つの行事が子どもの頃の正月の恒例行事でした。
 夏には「地蔵祭り」もあっていて、稲わらを編んで長俵を作って円形に置き、中に近くの川から掬ってきた河砂を入れて土俵作りをした記憶もあります。


 こうした行事は一時期は廃れたようですが、小学校の子供会行事として復活し、今に至っています。
 小さい頃は「モグラ打ち」の際に、「じゅ~さんちのも~ぐらう~ちは、かわばたたたいても~てもて!」というような意味不明の掛け声に合わせて手製の稲わらを編んだ叩き棒で地面を叩いていましたが、今は老人会の指導で子どもたちが事前に叩き棒を作っているようです。


 さきほどの掛け声にあるように、モグラ打ちは13日にあっていたはずで、だとすれば翌日に「どんどや」があっていたので14日であり、ウィキペディアに載っていた通りだったわけですが、子供会の行事として復活したのであるので、学校休みのこの3連休に前倒しして実施されたようです。


 朝から11時に着火と町内放送で連絡があっていたので、10分前にしめ縄を外して田んぼに向かうと、すでにメインの竹は崩れ落ちていて灰と残った竹が燃えているだけでした。
 雨の予報だったので、早目に着火したようですが、最初に火が上がる風景を撮影したかったのに思ったけど、それこそ後の祭りでした。

(火を使う行事のため、野焼きを禁止されている現代では、なかなか場所や消防署などの許可取りが大変そうです)

(残った火の中にしめ縄を投げ込みました)


 子どもだけでは手に余る行事であり、大人が主体となるべきものですが、保護者は大変だろうなと改めて思ったものです。
 火の回りで湯のみで酒を飲んでいるおじさんたちもいて、昔もこんな状況だったろうなと記憶にはありませんが、子どもたちのいない場面で酒飲みの数少ない楽しみだったのでしょう。