三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

アホ政権を擁護する意見はアホ総理の批判に繋がる矛盾

 あるジャーナリストがPCR検査数について韓国、ドイツ、英国のPCR検査数を提示し、日本の検査数の少なさを日曜日のテレビ番組内で指摘し、次のような発言を行いました。


 「当初はやむをえなかったとしても、この間、1か月、2か月、3か月というところでいうと、政権の明らかに本気じゃなかったか、本気だったとすると、失礼ですけど、無能ということになってしまう」


 この意見は至極ごもっともなものだと私は思いますが、それを報じたネットニュースには、多くの批判的な意見が載っています。
 いわゆる政権擁護側の意見なのかなと思って、その中の主なものを見てみました。


「日本のPCRは陽性率や死亡率から見ても決して少ないわけではない。PCRのデメリット(偽陽性やRNAウィルスとの相性や新型コロナの検出率の低さ)もある」


「無駄に検査を増やしても何の意味も無い。PCR検査自体の信頼性を上げる方が先決
今現在の検査の信頼性は30〜70%と言われてるのに検査を増やして何か意味あるのか」


「こう言う一方的な意見は無視した方がいい。PCR検査をやみくもに1日2万人にしたらパンクします。偽陽性と偽陰性による二次被害が間違いなく起こります」


 などという、PCR検査数を求めることに批判的な意見をだすことで、PCR検査数増を求めるジャーナリストを批判するというものです。
 他に多く見られるのが、いわゆる「黙っていろ!」的な意見で、発言者自身をレッテル貼りすることで、信用できないという理屈になっているようです。


「この方のコメントに共通しているのは、将来の展望を示さずにその時点の感覚で発言していること、そして、どのようなことでも現政権に問題があると結びつけること」


「常日頃から安倍政権に敵意むき出しのコメンテーターですから、コロナ対応についても冷静で公平な論評など期待できません。ましてや感染症の専門知識もなく、この人のコメントを取る理由は、やはり政権批判をしたいという事でしょうか? 」


「立憲民主党・共産党・社民党が政府ならもっと酷い事になってますよ。自民党の批判しか無く対案を全く発言していません!」


 最後の「野党だったら」という仮定の反論は、「悪夢の民主党政権」というアホ総理得意の野党批判のフレーズを使ったようですが、現在はこのフレーズを逆手に取り「悪魔のアホ政権」と呼ばれ、「悪夢だったらまだ覚めるけど」と言われているほどです。


 誹謗中傷での否定コメントは別にして、それ以外はジャーナリストが求めるPCR検査数を増やすことは意味がないという主張をすることで、現政権の現状を擁護しているのではと感じました。


 しかし、冷静に振り返ると「安倍晋三首相は6日の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合でPCR検査の1日の実施数を現在の倍の2万件に増やすと表明した」(4月6日付け日経新聞)とあり、アホ総理自身がPCR検査数を増やすことを求めていたのです。

 その約1か月後の5月4日の総理官邸での記者会見で、アホ総理はあるネットニュースの記者から次のように問われています。


「日本は内閣総理大臣がPCR検査が今、少ないので増やせということを指示をしても、今の日本は実力的にPCR検査を増やすことができないのだということを総理はおっしゃっているのでしょうか。(略)本気で増やそうとこれまでしていなかったということなのか、それとも、実際に本気で増やそうとしたのに本当に増えなかったのか」


 つまり、記者は最高権力者の総理大臣が「PCR検査数を1日2万件に増やせ!」と指示したのに増えなかったのは「総理が本気でやろうとしていなかったから?」もしくは「総理は本気だったけど増やす能力がもともと日本になかったから?」と二者択一で問うたのです。


 それに対するアホ総理の答えを見ると


「もちろん本気でやる気がなかったというわけでは全くありません。私は何回も、とにかく能力を上げていくと(略)それをやる、言わば人的な目詰まりもあったわけであり(略)全力を挙げていきたいと思っています」


 というように、本気でやろうとしたけど人的目詰まり(?)でできなかっただけという言い訳をしたのです。


 つまり、アホ総理の意見は擁護派が批判したジャーナリストと同じ「PCR検査を増す」という考えであり、ネットでの政権擁護派の論旨から見ると、アホ総理もジャーナリストと同じ「愚か者」だということになるのです。 


 政権擁護派が一生懸命にアホ総理を庇おうとすればするほど、アホ総理のアホさ加減をあぶり出すように見えてしまうのは私だけでしょうか?