三重苦ゴルファーの日記

71歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

18歳の花嫁の決意

ゆうぽん
 昨日、滝川市民ゴルフ場から帰る途中に、浦臼町の国道275号線沿いにある「道の駅つるぬま」に立ち寄りました。

 ここは先週金曜日に滝川市民ゴルフ場で練習ラウンドをした後に、豆乳クリームの「おやき」を買おうと寄ったところですが、その時は「おやき」売り場は休業中で、隣のソフトクリーム売り場でブドウのソフトを買い、店番のおばちゃんと平日の午後という暇な時間でもあったので、しばらく話をしていたことがあったのです。

(熊本では「回転焼き」というものです。)


 今日は「おやき」売り場には、中学生ほどの女の子とその子のおばあちゃん風の2人が居て、売り場が開いているのを確認し、まずソフトクリーム売り場に向かいました。
 そこにはこの前と同じおばちゃんがいて、「こんにちは!」と挨拶すると一瞬「誰だったかな?」という顔をされましたが、すぐに熊本から来た私と気づいてくれたようです。
 
(ほかに人参のソフトクリームもありますが、私は人参が苦手なので、ブドウを注文します。カウンター向こうの赤い服の方が、話をしたおばちゃんです。今日は日曜なのでもう1人おばちゃんがいました。)


 先日と同様にブドウのソフトクリームを注文し、しばらく待っていると、先にソフトクリームを渡された初老の女性に係のおばちゃんが私を紹介してくれました。
 「このお客さんは九州の熊本から来てるそうですよ」とソフトクリームを買ったばかりの女性に紹介し、私には「この人も宮崎出身なの。以前からの知り合いで、今日は寄ってくれているの」と言います。
 昨日は日曜日だったので、先日のように店内に誰もいないということはなく、ひっきりなしにお客が入ってきて、係のおばちゃんは忙しそうだったので、紹介されたその女性に声をかけてみました。


 広いテーブルの向こうとこちらに座り、お互いソフトクリームを舐めながら、「どちらの御出身ですか?」と尋ねると「宮崎県の椎葉村です」と答えがありました。
 カウンター内からおばちゃんが「こんな田舎に嫁入ってきて寂しかっただろうに」と言ったら、その女性は「生まれた場所は本当の田舎だったの。学校に行く際に川を船で渡らないと行けないような場所だったから、滝川は都会のように感じてた」と笑って答えていました。


 ときどきカウンター内からおばちゃんの茶々も入りますが、なぜ北海道に来ることになったのかお尋ねしてみました。
 その女性は「高橋」さんという方で、滝川市で蜂蜜店を営んでいるそうです。もともとは嫁入り先が養蜂業で、ご主人は冬季はミツバチとともに九州から北上して1年の半分は旅する仕事だったとのことです。


 たまたま宮崎にご主人が来られていた時に、知り合いの伝手でお見合い話が持ち上がり、女性は6人兄弟の1番上だったということもあり、いわゆる口減らしの意味もあって結婚を決意したそうです。
 ご主人は、26歳年上だったと言っていたので、結婚される際は18歳と44歳というもので、「よく決意されたのですね!」と言ったら、「実家にいても楽しくなかったから、出ていけるならと即決しました」と笑って言っていました。


 宮崎県の椎葉村は九州の背骨にあたる九州山地の中央部に位置し、熊本県の五家荘と隣り合った山村です。
 周囲を1000m~1500m級の山々に囲まれ、熊本の五家荘と同様に平家の落人伝説があり、都を逃れた平家とそれを追ってきた源氏がそれぞれ移り住んだという話がありますが、椎葉村は五家荘同様に平家の末裔だということです。


 私は、五家荘の入り口にある農業系の分校に4年間勤務した経験があり、その学校でさえも深い谷底の川沿いにあって、左右は見上げるような山の斜面が続いていました。
 イノシシが瓜坊という子を連れて歩いているのを学校の窓越しに見かけたり、野生の猿が日当たりが良い山の斜面で日向ぼっこしたりする光景が見れるような場所で、そこからさらに山奥に踏み込んでいった場所が五家荘であり、椎葉村も同様な地域だと思えます。


 「それでは結婚後は一緒に旅していたのですか?」と尋ねたら「いいえ、私は滝川の実家で義父母と同居し、面倒を見ていました。結婚して50年以上が過ぎ、すでに義父母も夫も無くなりましたが、私のとっては楽しい時期でした。今は娘と一緒で、下の息子が養蜂業を継いでやっています。滝川で小さな養蜂店を開いて自家製の蜂蜜を売っています」と微笑みながら話してくれました。


 26歳も年上の流浪の旅人に付いて、九州からはるばる遠く離れた北海道までやってきた18歳の花嫁のことを想像すると、なにか胸が締め付けられるようですが、ご本人は貧しい山村の実家から抜け出すことができるので、どこであっても後悔はしないと当時は決めていたそうで、今もその選択は間違っていないと思っているようです。


 椎葉村の実家とはあまり連絡はとっていないような風で、宮崎に帰ることもないそうです。それでも私が九州から来たと聞き、懐かしさがこみ上げたようでした。


 しばらく話をして、「それでは」と私と店のおばちゃんに挨拶をして出て行きましたが、すぐに戻ってきてその手には瓶が2つ握られていました。
 「今の時期は、あまり良い蜂蜜が取れないけど、これは菜の花の蜜です。よかったらどうぞ!」と私とおばちゃんに1個ずつ渡してくれました。

(まだラベルも貼っていないものでしたが、高価なものを頂きました。)


 遠い北海道のたまたま立ち寄った場所で、思いがけないドラマティックな人生の話を聞かせていただき、なにか心に残る日になりました。