三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

阿蘇の噴火と熊本地震の遺構を見学に行く

 27日の阿蘇ハイランドのラウンドは11時過ぎには終わり、大津町のホテルのチェックインまで時間があるので帰りに阿蘇中岳を見学に行きました。
 登山道を通れば国道から15分ちょっとで草千里までは行けるものですが、なかなか近くなのに行く機会はないものです。

(ススキの穂が一面に広がる登山道を車で上って行きます)

(途中には米塚の横を通ります。米塚も火山で噴火口の跡が頂上に残っています)

(草千里の駐車場は有料なので、行き止まりまで行って写真を取り、引き返しました)


 中岳の噴火は治まっているようで、噴煙も少なく普段の大人しい姿でしたが、専門家は近いうちに再度の爆発が起こると警告していて、火口から半径2Km以内は立ち入り禁止になっています。
 草千里のレストハウス周辺には大型バスでやってきた修学旅行中の生徒の姿も見えました。

(夕方のローカルニュースで阿蘇観光の話題が放送されていて、今日の草千里付近の映像も流されていました)

(帰る途中、上って来る際は気づきませんでしたが、道路から良く見える場所があり、路肩に止めてさっと撮影しました)

(中岳の第一火口から噴煙が上がっています。奥は高岳で、写っていませんが右手前に草千里があります)


 今日は平日でしたが、阿蘇は熊本ではメインの観光地になるため車は多く、思ったより賑わっていました。
 今月20日に噴火があり、草千里からみる火口から吹き上がる噴煙の様子と逃げる観光客の様子がテレビで何度も流され、行く前は大丈夫かと少し心配していました。


 この数日、20日の噴火前の兆候と同じ兆候が観測されているようで、専門家は再び噴火する恐れがあると警告している中で、わざわざ行って噴火に巻き込まれるのは「馬鹿か」と言われそうですが、そんな人たちが数多くいて、なんとなく安心してしまいます。


 帰る途中、道路わきに「震災遺構」という看板があり、何だろうと思って横道に左折してみました。
 そこは旧九州東海大学阿蘇校舎があった場所で、すでに校舎は使用されていませんが震災の後のまま保管され公開されている場所でした。

(入口にスタッフがいて、パンフレットを渡してくれ、必要なら案内してくれるようですが、地元民なので案内は断り、1人で自由に歩き回りました)

(右手の高台の校舎には被害はないようですが、すでに阿蘇校舎は閉鎖されています)

 こちらが正面玄関ですが、舗装面がガタガタになっていて、段差ができています)


(管理等の裏に地震による地割れ部分があり、屋根を作って保存してありました。地割れの真下になる管理棟が破壊されています)

 管理棟は元々は下の画像のような形でしたが、地震で中央が大きく被害を受け危険防止のため左右の建物との間を壊してあります。

 左右は耐震補強されていて被害は少ないようですが、中央の管理棟は曲線のデザインで耐震補強が難しく、大きく破壊されていて、補強の必要性がよく分かります。

 中央の管理棟はガラス窓が割れたままになっていて、内部も大事なものは持ち出されていますが、備品や金庫などがそのまま残されています。

 私も熊本地震は直に経験しているので、この旧東海大学校舎を見ていて、あの時の恐怖が蘇ってきました。
 この地域では、学生を含む31人の方々が倒壊した建物により亡くなっています。学生アパートの1階が圧し潰され、2階が地面と同じ高さになっていた様子がニュース映像で流されていました。

 2016年4月16日午前1時25分に起きた熊本地震の本震で被害を受けたものですが、この断層もそのときできたものです。


 すでに5年以上が過ぎていて、やもすれば記憶が風化してしまう時期ですが、こうして地震遺構として残されていれば、またいつかきっと起こるであろう大地震に備える心構えを再確認し、いざという準備は欠かせないものです。
 この遺構は初めて知り、もっと知り合いにも知らせていこうと思いました。