最後に大叩きするも優勝とベスグロ
(朝のクラブハウス前。天気は良さげです。)
県内には県立の自然の家は4施設あります。北から「菊池少年自然の家」と「豊野少年自然の家」、そして「天草青年の家」と私がいた「あしきた青少年自然の家」でそれぞれ社会教育施設ですが、対象者は名前の通り微妙に違っています。
菊池と豊野は「少年」なので小学生や中学生を対象にした施設ですが、天草は成人を対象に、あしきたはどちらも対象にしていて、在籍していた当時は宿泊などは無料で利用できていましたが、現在は指定管理者制度を取り入れ、使用料が必要になっています。
他にも阿蘇に国立の青年の家があったり、熊本市にも市立の少年の家がありますが、県立の4施設は交流を当時からしていて、その流れで懇親コンペがあっていました。
(大津の9ftと比較するとかなり遅めでした。ここは書いてありませんが、コンパクションの違いのようです。)
当時の職員構成は、所長は県立高校から総務課は行政系から、そして中枢である指導担当の事業課職員は社会教育主事の資格を持つ義務制の学校から教員が派遣されていました。
そのほかにも、教員免許を持った嘱託職員なども数名いましたが、繁忙期は交代勤務でほぼ事業課の職員は休みも自発的に出勤してくるという「ブラック企業」体質の職場で、よくそんなに頑張れるのだろうかと驚いたものでした。
その理由は、小中学校から転出する際に皆から「将来の管理職候補」だと持ち上げられてやってくるためです。
そのため、事業課の職員のモチベーションは大きなものがありました。
当時の職員で、現場に戻った人たちは、それぞれ管理職になっているため、あながち嘘ではなさそうですが、実際は年齢的に40歳前後でやってきて3~5年勤務して学校に戻るため、その間に管理職試験に合格しているケースが多いのです。
つまり少年自然の家への異動が出世コースではなく、たまたま優秀な人材が在職中に努力して管理職試験に合格していたということが事実なのです。
そのため、県立籍だった私は現在は現場に戻った職員とはほぼ共通の話題がなく、まして退職もしていることから昼食時の話題にも付いていけませんでした。
(バンカー練習場は、クラブハウスからかなり下りた位置にあります。バンカー砂は泥に近いものでした。)
(練習グリーン近くの紅葉です。)
(こちらは10番ティー近くの紅葉です。奥にスタートを待つコンペのカートが灯っています。)
(スタート10番パー4は極端の打ち下ろしになります。セカンドは打ち上げのため、距離感が悪くショートして、寄せも2mしか寄らずパットも外しました。)
このコンペは年2回、夏休み中と冬休み中に開催されていましたが、来年からは気候が良い5月と10月に開催する案が出されて了承されますが、私個人としてはもう「卒業」しようかなと思いました。
理由は、退職して来年で5年、「あしきた青少年の家」を離れて13年になるためです。まだ当時の所長連中がこのコンペに参加しているため、顔見知りはいるのですが、私と同じ「あしきた青少年の家」出身のもう1人と2人で毎回ベスグロや優勝をさらっていくほど他のメンバーの実力が低く、今日も最終ホールで私はダブルパーの+4を叩きましたが、グロスで3打、ネットで1打差でトップでした。
他の参加者にとっては、「あしきた」の2人がいつも上位を取っていることに、あまり良い気持ちはしないかもしれません。
その上、いつもやっているゴルフとは別物のラウンドになってしまうためです。
(後半のスタートホール1番パー5。距離がなく2オンを狙いましたが、外して寄せも傾斜奥に乗せてしまい、下りの2mを外してしまいます。)
真面目にプレーしていると、「もっと楽しくやりましょう!」と言われるし、隣のホールから前組や後組の大声が聞こえるような状況なので、マナーもエチケットもないようなゴルフなのです。
普通に100が切れない人ばかりで、ゴルフに対する姿勢が全く違います。参加者14人中90が切れたのは、「あしきた」出身の私たち2人だけで、100が切れたのも半分しかいないというレベルです。
そんな中に混じってゴルフをしても、お互いに得することはないのではと思ってしまいます。
ただ「あしきた」組はその彼と2人だけなので、もし私が不参加になると「あしきた」の参加者がいなくなってしまう恐れがあり、4施設親善コンペそのものが消滅してしまうきっかけになるかもしれません。
4回に1回はコンペの幹事が回ってくるため、1年後は「あしきた」の担当になるのです。
優勝賞品だけかっさらって、以降を不参加だと無責任だと思われそうで、それも気になります。
(優勝はボールでベスグロ景品は水筒でした。)
次回のコンペまで半年あるので、次回は用事と重なったとして断ることもあり、そうするかもしれません。
とにかく疲れた一日になりました。