三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

本当に「流れ」などある?

今日はゴルフはお休みなので、テレビでTOTOジャパンクラッシックのゴルフ中継を見ています。
現在の首位タイには畑岡奈紗プロがいますが、13番で畑岡プロはセカンドをつま先下がりのラフから7Iでグリーン手前にショートしてしまいます。


解説の戸張さんは「流れが悪くなった。」というようなコメントをしています。
それというのも、畑岡プロは5バーディー後の11番12番で連続ボギーを打っていたため、いわゆる「好調」から「不調」へ潮目が変わったという趣旨のようです。


この「流れ」とは、ゴルフに限らず、いろんなスポーツでも用いられますが、本当にあるのでしょうか?
私は「ない」と断言します。


それぞれの事象は全く異なった出来事であり、そこには関連性は本来はありません。前ホールでパーパットをカップに蹴られてボギーになったからと言って、そのことが次のホールに物理的に影響なんて一切ないはずです。


あるとしたら、プレーしている人間の心の中だけにあり、プレー中の本人が「流れが悪くなった。」と思えばミスの理由づけになるのです。
つまり、人間の意志の弱さを表す便利な言葉が「流れ」だと思います。


解説者は所詮、プレーヤーではなく傍観者なのでストーリーを作り上げて解説する方が、視聴者に対して分かりやすいのですが、そのコメントを安易に使うことには私は反対です。
現にこのホールでは、畑岡プロはアプローチを1mに寄せてパーゲットでしたが、もし「流れ」があるならこのホールもパットを外していたはずです。
結果はそうではなく、畑岡プロは見事に寄せ1のパーを取ったけど、この場合は「流れ」という言葉は出さないところがずるいと言えばずるいのです。


「流れ」論者は、「良い流れ」だと攻めても大丈夫的なことを言い、「悪い流れ」だと我慢すべきというようなコメントを言います。
誰でも未来のことは分からないから、こうしたストーリーを作りたがるのです。


ゴルフはミスが出るのが当たり前のスポーツです。そこには「流れ」なんてないし、ミスもでればナイスショットもでるのがゴルフなのです。


自ら「流れが悪い」と思えばスコアを崩すし、気にせず淡々とゴルフをすれば「流れ」なんて関係ないことになります。


他の同伴者がグリーン上で長いパットを決めたから、いわゆる「蓋をされた。」的なことを思うこと自体が、自分のミスを先に予告しておこうという意志の弱さだと思います。
入るか入らないかという2つの結果しかないパットなので、外せば「流れが悪くなっていたから」という言い訳をしたがるのであり、ここは「デジタル思考」(いわゆる『それぞれの事象は独立して起こっており、そこには因果関係はない。』という考え方)の方が良いのではと思っています。


確かに、考え方としては「運命に身を任せる」的な考えで、「今日のスコアは流れが悪くなって我慢できなかったから良くなかった。」的な言い訳ができますが、未来を創るのは自分自身であり、パットを決めるかどうかも自分自身なのです。
「入る」か「外す」かを決めるのは、自分のパットの打ち方次第であり、そこには運命も「流れ」もないはずです。


ちなみに、畑岡プロは14番でティーショットをバンカーに打ち、解説者たちは「おやおや、何かが起こっている。おかしくなった。」と言っていましたが、畑岡プロはバンカーから見事にバーディーチャンスに付けバーディーにしたのです。


この後の展開は分かりませんが、優勝できるかどうかは結局は、その1打1打に向かう姿勢と、その結果次第なので、そこには流れなどはないと思っています。
果たして畑岡プロは優勝できるのでしょうか?結果が楽しみです。