三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

ハンディ改訂

今日は8月1日なので、楽天GORAのハンディキャップインデックスの改定がありました。

(スクショで撮ったので、下方が切れてしまいました。)


楽天GORAでは5.3という数字になっていますが、所属クラブのハンディーキャップは先月改訂されていて、現在は8.1になっています。


(ハンディ改訂があると所属クラブからはハガキで通知があるとともに、クラブハウス内に掲示されます。)


本来は、同じ数字であるべきですが、所属クラブである赤水には他のゴルフ場でのスコアを出さないため、違ってくるのはある意味当然です。
赤水でのハンディキャップ改訂は、年2回しか行われず、スコアを出したのはバックティーからプレーした社長杯や理事長杯のスコアだけだったので、こんなものかなと思っています。


以前はシングルハンディーはそれなりの重みがありましたが、現在は簡単に増減してしまうので、まず有難味はなく、クラブのハンディ競技で使うくらいの数字という認識になってしまっています。


以前は「ゆーぽんのゴルフ道」などというブログを書いてシングル入りを目指していた時期もありますが、その後はたかが数字に振り回されることはナンセンスという思いが生まれ、そのブログも閉鎖しています。


昨年は「シングルプレーヤーになって幸せか?」という記事

も書いていて、シングルハンディーよりも目指すのは「エージシュート」だと主張しています。


「ゆーぽんのゴルフ道」で検索したら、懐かしい記事が見つかり、下に張り付けてみようと思います。
当時までのゴルフ歴で、改めて読んでみると恥ずかしい部分もありますが、誰でもそこそこのレベルまでは行けるという意味で、アップしてみます。


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(以前の日記)
 ゆーぽんは、ゴルフに関しては、まだまだよちよち歩きかもしれません。ゴルフに関するいろんなことを、これからいろいろ学んで行く必要があるようです。


 自分のゴルフ歴を改めて振り返ってみました。案外、ゴルフ歴はあやふやになっていることが多く、何年だったかなという確認も含めて整理してみたのです。


 ゆーぽんは、特に人並み外れた才能があるわけでなく、ゴルフを始めた年齢も比較的遅かったので、この歩みは一般的なアマチュアゴルファーのものだと思ってます。
 こう書けば「一般的」ではなく「ゴルフ○カ」だからと言われそうですが、それでも誰でもできることしかやってないのは事実なのです。特別なことは何もしてなく、休みを利用して遠征に行ったり、小遣いを節約してラウンドをしているだけです。


 やろうと思えば誰でもやれることであり、100叩きの平均的なアベレージゴルファーであったゆーぽんの軌跡がみなさんの今後の参考に少しでもなればと思います。


平成4年
4月:ゴルフコンペの盛んな熊本市内の職場へ転勤
8月:初練習場(ゴルフへの取り組み開始:37歳)
8月:ショートコース(ファミリーGC)を初経験(テニスの大会後に遊びで仲間と行く)
10月:初ラウンド(熊本GC スコア127:アイアンのみでラウンド)
平成5年
7月:初めての100切り(菊池振興CC スコア98:奇跡的ショットの結果)
平成6年:ラウンド数20程度(職場のコンペ6回の他は友達と百花園に通う)
平成7年:(九州山地の真っただ中の職場に転勤)ラウンド数5程度と激減
平成8年:ラウンド数3程度(このころから卓球指導に熱中する)
平成9年:ラウンド数0(ゴルフを忘れて卓球指導に没頭)
平成10年:ラウンド数0(土日祝祭日も卓球の練習で出勤する)
平成11年
4月:(県南の職場に転勤:部活から離れて夕方がめっきり暇になる)
9月:熊日ゴルフ学校入校(新聞で広告を見て「これだ!」と閃く)
11月:ゴルフ学校卒業後に田原坂CC中級教室入校(練習場の戦略「もう一段上のレベルへ」に嵌った感がある)
平成12年
6月:H先生個人教室入校(「中級」とは名ばかりの「教室」に疑問を持ってた頃)
10月:ベストスコア81(不知火CC:ラッキーショットのオンパレードでそれまでの86を一気に更新した)
平成13年
5月:阿蘇GC入会(「財務省」を説得するのにエネルギーを費やすが、基本的に自分のへそくりから支出)
7月:初HD13(5枚のスコアカードの中には100叩きもあり、計算上は18と予想。初月例での84が原因?)
平成14年
2月:クラブ競技初優勝(RKK杯 ネット69:パットが入りまくった結果)
3月:キャプテン杯初出場・初優勝(マッチプレー:キャディのアシストもあり、相手が勝手に転んでくれた)
4月:(天草に転勤)
5月:HD11(4月から半年ゴルフから離れていた。実力的には重いHDだった)
平成15年
6月:クラブ競技優勝(ブリジストン杯 ネット65:徹夜気味で参加のため、余計な力が抜けたのかも?)
7月:HD10(1回70台を出せば、10になるんですね)
9月:クラブ選手権初出場(予選落ち:参加資格が得られたので挑戦したが、やっぱり無理だった)
平成16年
1月:研修会の懇親会で、先輩シングルに「喝」を入れられる
1月:刺激を求めて「福岡ゴルパ」に参加
7月:グロス競技初参加(空港周辺オープン第1戦中央CC:83 寝坊でぎりぎりスタートに間に合うというハプニング)
7月:クラブ競技で久しぶりのグロス76(同ネットスコアだったが、年齢負けで2位)
8月:空港周辺オープン第2戦(高遊原CC:台風の中97を叩き惨敗。雨や風の中のラウンド経験のなさを実感)
9月:月例初優勝(ネット66 前半は「神懸かり」的な33のスコアで後半は43「シングル」入りにリーチ)
9月:クラブ競技優勝(アサヒビール杯 ネット65 「シングル」入り条件を満たす)
9月:クラブ選手権予選通過(1戦目の途中で「神懸かり」が消えてしまう)
9月:ホームページ開設
10月:見上CC宇土コース入会
10月:ハンディキャップ競技県予選(5位通過 ネット72)
11月:ハンディキャップ競技九州大会(佐賀ブリジストンCC:緊張のあまり、ネット79で64名中48位と惨敗)
11月:HD9(査定ラウンドでは、緊張のあまりミスを連発する)
平成17年
5月:HD8(90叩きが多くなった時期のHD改定には、正直驚く。「こんなんでいいの~?」)


 こうやって振り返ってみると、ゴルフを始めたての頃は、クラブを振ることが楽しく、打ち放し練習場でドライバーを中心に振り回していました。形がどうとかレッスンを受けたこともなく、我流で振り回していたのです。


 それ以前、ゆーぽんは職場のソフトボール愛好会に入っていましたが、バッティングでは憧れていたホームランバッターにはなれなかったのです。どんなに振り回しても、外野の頭は越せず、飛距離は持って生まれた才能と諦め、内野の頭を越すバッティングに活路を見いだしていました。ところが最初に打ちっぱなし練習場には同じソフト仲間の友人に連れられて行ったのですが、そこでは飛距離が逆転したのです。ソフトボールでは長距離ヒッターだった友人はゴルフでは飛距離が出ず、ゆーぽんのほうが遙かに飛びます。それは、それまで内心に秘めてた劣等感を払拭する出来事だったのです。


 最初にプロのインストラクターに付いていれば、我流のスイングで固まってしまうこともなかったのですが、とにかくその頃は飛べば満足というレベルでショートゲームの重要性などには気づいていませんでした。職場内のプライベートHDも36から30辺りでした。


 約4年間のブランクの後、心機一転してゴルフ学校に入校してゴルフを再開したのですが、ゴルフを始める動機付けにはなっても技術的には何の成果も得ませんでした。
 ゴルフというゲームに、心身とも真面目に向き合うようになったのが、H先生の個人レッスンを受けるようになってからです。いろんな話を聞かされ、ライバルになる同じレッスン生もでき、スコアで負けないように練習で頑張りました。上手くなりたいがために、ゴルフ場の会員にもなったのです。自宅の庭でアプローチの練習なども始めました。


 このレッスンを受ける前は、90が切れないゴルファーでしたが、レッスンを受けるようになって80台がときどき出るようになりました。阿蘇GCに入会して、ラウンド数が飛躍的に伸びるのと比例して、スコアも80台で安定するようになりました。
 平成16年は特に他のゴルフ場でのラウンド数も増加し、夏場の好調さで、一気に阿蘇のクラブHDを9にすることができました。


 こうやって振り返れば、才能がないものでもラウンド数をこなせれば、そこそこのレベルまで行けるという証拠です。この後、当面の目標であるHD5までたどり着けるかは分かりませんが、歩いてきた道を改めて見ると、やれるんじゃという自信が湧いてきます。
 以前だったら、HD8や7といったレベルは、はるか雲の上の存在って気分でしたが、自分がそうなってみると「こんなんでいいの?」というのが実感です。だったらHD5でも、そんなにたいした存在ではないんじゃという不遜な考えまで起こってきます。


 プロでも調子悪い時期があるように、ましてやアマであれば調子の波は一定ではなく、大きなうねりがあるのです。そのうねりを少なくして、スコア的には時折80を切るレベルになれれば、当面の目標であるHD5はそんなに遠いものではないという意欲が湧いてきます。


ゴルフクラブを握って、計算すれば早くも13年が経っていました。しかし、前半の8年は真面目にゴルフに向き合っていたものでなく、単にやってるというレベルです。
 H先生に出会ってから以降の5年間が、本当の意味でのゴルフ道なのです。上達したいとの欲求から、練習をしてラウンドを重ねることで地道にレベルアップしてきているようです。


 まだ今からゴルフ道を歩もうとする方々も、上手くなりたいという気持ちを持って練習に励めば、必ずゆーぽんと同じところまではたどり着くはずです。
 ゆーぽんが遙か彼方だと思ってた、「シングル」ハンディになれたのは、ある意味ラッキーな面もありますが、現在ではそれに恥じないよう練習する原動力にもなっています。そうやって、自然とゴルフ道を歩むことが運命なのかもしれません。


 「ゆーぽんのゴルフ道(みち)」は、普通のサラリーマンが出来る範囲でゴルフに取り組むことで、夢に向かって歩むというテーマで開設したHPです。少しでも、後に続く方々の指標になれば幸いです。