三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

好天の中を懐かしい場所に訪れてみる

昨日は日曜日でしたが、当初は阿蘇赤水GCの月例に行こうかと思っていました。
阿蘇赤水GCは私のホームコースになり、来週の日曜日はクラブの3大競技の初戦である「社長杯」予選があるため、久しぶりにラウンドに行こうと思っていたのです。


しかし、諸般の事情により、阿蘇赤水GCの月例には行かず、五木村に行くことにしました。
諸般の事情とは、五木村には親戚の男性が1人で住んでいて、かなり弱っていると聞いたのです。
実は2月21日に熊本クラウンGCに行った際に、五木村経由で行き、帰りに様子を見に立ち寄ったのでした。


そのときは元気そうでしたが、親戚の男性は今年75歳で数年前から軽い認知症になり、足も不自由で五木村の介護サービスなどを受けています。
ずっと独身で、身寄りも現在はほとんどおらず、ときどき世話になっているホームヘルパーさんなどから連絡があります。


家人が様子を見に行きたいということで、急遽五木村まで行くことになりました。


五木村は35年ほど前に6年余り住んだ場所です。ただその後は川辺川ダム問題で、五木村の中心地を含む水没予定場所が、全て高台に造成された代替地に移転してしまい、住んでいた当時の五木村の面影はなくなっています。


幸い、男性は思ったより元気そうで、せっかく行ったのだから、久しぶりに外で昼食を取らせようと、気になっていたうどん屋に車で連れて行くことにしました。


そのうどん屋とは、別の代替地に比較的最近オープンした店で、熊本クラウンGCに行くために通る道路からは川向うにあります。
五木村に住んでいた頃は蕎麦屋が1軒あって、特徴的なブツ切り麺を鶏のだし汁で食べるという人気店でしたが、村の移転後はお店自体も無くなっていて、そのお店の後継なのかと思っていたのです。


足の悪い男性を乗せて、そのうどん屋に行ってみると、すでに観光客で駐車場はほぼいっぱいです。

時間もちょうどお昼時ですが、店内に入って壁をみると、営業時間がなんと11時から14時までのたった3時間で、その上「麺が無くなり次第終了になります。」とあります。

この店のうどんは「五勢うどん」と名付けられています。対岸の県道の傍らに「五勢うどん」の「のぼり旗」の案内があり、どういう意味なのかと思っていましたが、店内に貼ってあった説明で納得しました。


店主が伊勢うどんの麺に魅せられ、五木村の甘いだし汁と合わせたうどんを五木の「五」と伊勢の「勢」を合わせ、「五勢うどん」と名付けたようです。


麺は毎日伊勢から直送されているとのことで、本場の麺だと謳っています。
うどん自体は美味しいものでしたが、麺の特徴が太いけど腰が全く無い、かなり柔らかい麺であり、個人的には物足りない歯ごたえでした。


以前、伊勢神宮に参拝した際に伊勢うどんを食べたとき、特徴的なそのスタイルに驚いたものです。
熊本で「うどん」といえば、かけうどんが一般的ですが、伊勢うどんは汁が無く醤油ベースのたれに麺を絡めて食べるスタイルだったことを思い出しました。


そのときはこんなに麺が柔らかったことには気づきませんでしたが、なるほどかけうどんでなければその柔らかさも納得です。
しかし「五勢うどん」はその柔らかい麺をかけうどんにしているため、かなりやわやわですが、年寄りにはちょうどよいのかもしれません。
男性は大盛りうどんをぺろりと食べて、これだけ食欲があるのなら大丈夫だろうと一安心しました。

(うどん屋から見た、以前住んでいた場所の遠景。橋は当時はもちろんなく、中央に流れる小川という川辺川の支流が左に蛇行した右岸のやや広い場所に住宅があった。この橋と次の写真の橋は別物です。)


帰る途中、以前に住んでいた場所に行ってみることにしました。
現在の道路や街並みは、当時の場所からかなり上方に作られていて、以前の町並みは全く様変わりしています。

(当時の中心地の一つ。左に郵便局があった場所。水没予定地だったので、元の住宅は全て高台の代替地に移転して現在は跡形もないが、当時の交通案内が残っていた。)


当時の目線でみると、かなり上方になる橋が現在の街の高さになります。本来はダム建設で水没していたのでしょうが、ダム本体工事着工前に計画が撤回されました。


以前住んでいた場所は、広い公園みたいな広場になっています。元々が中学校のグランドがあった場所で、グランドや学校跡地などを使って公園化したようです。

(右側の山斜面に白い屋根が見えている場所は高野地区の代替地。奥に見える橋は、先ほどのうどん屋から見えた橋になる。)


ここは6年半過ごした場所なのですが、当時とは様子が一変しています。しかし、ここから見る山の風景だけは同じに見え、懐かしさが込み上げ来ました。


芝生の広場ですが、日曜日の昼過ぎなのに誰もいないため、ウェッジの練習どころかショートアイアンで打てる広さがあるのにと思ったほどです。


その後、当時関係した学校にも行ってみました。ここも代替地に移転しています。

(先ほどの公園から代替地へ上っていく途中にありましたが、中に入ったことがないため特に感慨は湧きませんでした。)


以前の分校はプレハブ作りの校舎が中学校の敷地の隅っこを借りたように建てられていました。場所は先ほどの公園の川沿いに建っていましたが、移転後は立派な建物に変っていました。

(門扉左にあった人吉高校五木分校の表札。在校生は何人いるのでしょうか?)


以前は近くだけど別々にあった中学校と高校が同居しているらしく、門扉には右には中学校名が左には高校名の新しい表記がありました。

(公園から東側の山を眺める。6年半見続けた山の姿は当時と変わらなかったが、代替地が山裾に作られているのが以前とは異なる風景。)


結局、17時頃まで五木に滞在し、今月末には熊本クラウンGCでラウンド予定なので、また様子を見に来ると男性に告げて、五木をあとにしました。


今回、なかなか行く機会がなかった懐かしい場所に行ってみて、月日の経つ速さを実感しました。