三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

霊巌洞

今日は連休で熊本に帰って来た息子夫婦を連れて、熊本の観光地巡りをしました。


観光地巡りと言っても、既に阿蘇や天草には連れて行ったことがあったので、今回は近場でマイナーな場所に行ってみました。


そこは金峰山の麓にある霊巌禅寺の裏山にある、霊巌洞という洞窟です。
ここには岩戸観音という観音像がありますが、かの剣豪宮本武蔵が晩年にここに籠って五輪書を書いたことで有名になった場所です。


熊本市から20分ほど西に向かった回りがミカン山の中に、霊巌禅寺はひっそりと佇んでいます。
入り口で200円の拝観料を払い、境内に入るとまず目に飛び込んでくるのが岩肌に点々と並ぶ無数の地蔵像群です。


五百羅漢と呼ばれるもので、すでに首が無くなっている像もあるのですが、その表情は豊かで必ずその中に知り合いに似た像があると言われています。


その五百羅漢を右手に見ながら、山の斜面を上り下りすると霊巌洞の入り口に到着しました。
7~8mほどの石の階段を上ると、霊巌洞に入ることができます。洞内はそんなに奥行はなく、中央に巨岩があり奥には祠が祭ってあります。


ここが宮本武蔵の籠った場所なのかと不思議な気分になりました。


宮本武蔵はいろんな物語などで取り上げられて有名になった剣客ですが、とくに佐々木小次郎と闘った巌流島の決闘の話は有名です。
また二刀流の使い手として知られ、二天一流という兵法の開祖で五輪書はその奥義をまとめたものと言われています。


ただヒーローとしての宮本武蔵は後日に脚色されたものが多いらしく、いろんな資料でいろんな側面が伝えられてはいます。
例えば、巌流島の決闘では弟子を連れて行かない約束を小次郎は守ったが、武蔵は守らず、倒した小次郎の息の根を弟子が止めたという話もあり、怒った小次郎の弟子からの仕返しを恐れて武蔵は遁走したという説もあります。


ほかにも五輪書は兵法書ですが、弟子が武蔵の死後に創作したという説もあります。


真偽はともかく、その時代を宮本武蔵が生き抜いたという事実が、武蔵の兵法家としての能力を証明しているのではと思っています。