三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

曲がるアイアンを制御できず

 今日は「アプローチの達人」が予約していた阿蘇ハイランドの早朝に行くため、自宅を4時半に出発して、暗い中を阿蘇に向かいました。
 いつも旧国道57号線を使って阿蘇に向かいますが、市内の浄行寺交差点から前に1台の軽がいて、この車が制限速度50㎞の道路を40kmに満たない速度で走りかなり閉口させられます。
 
 こんな車は時々いて、私が予想するに市内の飲み屋の従事関係者が深夜の仕事を終わって郊外の家に帰っているのではと思うもので、飲酒状態のため警察に掴まらないよう慎重に走っているのではと後方を走りながら考えています。
 そう想像する理由は、それらが市内の中心街方面から来る車だということと、まだ暗い早朝なのに異常に安全運転だということからです。
 暗いためどんなドライバーなのかは分かりませんが、交通量の少ない早朝とはいえ後ろに何台も並び、大名行列状態になります。


 そんなこんなで予定時刻より5分ほど遅れて5時40分前にゴルフ場に到着すると、すでに達人は来ていて、私の顔を見るなり「今日は6時20分スタートだけど、なぜかカートが先頭に並べてある」と言ってきたので、「今日は3番目くらいだと思っていました。先頭でラッキーですね」というと達人が「今日の担当は気が利く男の子だから、どうせ我々が早く来るだろうと先頭にしてくれたんじゃ?」と言っていました。

(画面では明るいけど、実際はまだ薄暗い練習グリーンです)

(私と達人の車が並んで駐車場に停まっていて、そこに1台の車が入って来てから中から4人が下りてきたので後続の4バッグ組だと分かります)


 後ろは4バッグでその後ろは3バッグのようですが、我々は時間的に3番スタートの時間帯なので、今日の受付担当のお兄ちゃんが我々をトップに変えたくれたようでした。
 達人が「今日は慌てて出ずに明るくなってからスタートしよう」と言ったので、日の出が5時52分でしたが5時55分まで待ってのスタートでした。

(1番ティー横のゴルフ地蔵。今日はカート乗り入れがOKなので楽ちんです。奥は18番グリーン)



 今日もパーオンすればパーゲットできますが、グリーンを外すとほぼボギーという展開になりました。
 上のスコア表のように、前半のアウトはなかなかパーオンせず、せっかくのフェアウェーキープ率の高さを生かせなかったのは、セカンドのアイアンが左に飛ぶ傾向だったからです。


 自分の中でなぜ左に飛ぶのかという原因を分かっていれば対策もあるのでしょうが、原因が自分で分からず、対処療法として右目を狙うしかありませんでした。
 しかし、そんな時は曲がらずに真っすぐ飛ぶから始末に負えないもので、だから前半のパーオンは1ホールだけだったのです。


 5番で達人のショットが右に飛び、私は質問してみました。たまたまライがつま先上がりの場所で達人に「やはり右目を狙ったのですか?」と尋ねると「そう」と返事があり、達人でも私と同じようなミスというか予想に反したショットになることが分かります。


 達人も「つま先上がりからフックが出ると思って右目を狙うと真っすぐ行くし、かといってピンを狙うとフックする」という意味の私同様な愚痴を言っていて、私だけの傾向ではないことが分かります。
 そこからも、つま先上がりのライからフックするかしないかは、微妙な部分で、あまり大げさにするのは良くないようです。


 以前のレッスンを受けていたプロからの教えは、「開いて開いて」がつま先上がりのライからの打ち方だったと記憶していますが、なかなか思ったようにコントロールできなかったものです。


 もっとも思ったように打てないからゴルフは楽しいのであって、誰もが常に球をコントロールできてしまったら、面白くもなんともないゲームになることでしょう。

兄弟ラウンド①

 今日の夕方、窓からは快晴の空が見え太陽の光も降り注いでいたのに、急に大粒の雨が降り出し、慌てて洗濯物を取り入れたことがありました。

(雨粒が映っていませんが、かなり降っていて、まさしく「狐の嫁入り」かもしれません)


 一昨日は、兄を連れて阿蘇ハイランドに行ってきましたが、いつものビデオカメラを持参しラウンドの前半に関してはある程度は撮影できていて、その編集を昨日から始めています。
 今日は1番と2番の様子を編集し、YouTubeにアップしたので動画の中でも説明していますが、改めてこのブログでも私が言いたいことを少し詳しく書いてみます。


 まず前提として、私は兄のスコアが良くなってほしいと思い、私がこれまで得た知識を実地で伝授したいと思っていて、他人にだったら有料でも教えたくないと思っていることを兄弟の好でボランティアとして伝えたいのです。


 そのため、小うるさくラウンド中は気づいたことを兄に伝えますが、それは今の段階は練ラン的なものだと私が思っているからです。


 今回のラウンドも兄からの依頼があったから私がネットで予約し、これまで同様に私は車を出して兄を同乗させゴルフ場まで来ることになりました。
 基本的に兄とのラウンドでは、自分のゴルフを犠牲にして、少しでも兄のスコアが良くなってほしいと思いながらラウンドするもので、それはラウンド中に小言を言うと自分の心の中に波を立てることになり、それはゴルフでは避けなければならないことだからです。


 プロがラウンドレッスンで、いろいろ話しながらも自分のスコアを大きく崩さないのはさすがだと思っていて、私のようなへぼゴルファーはラウンド中は出来るだけ心穏やかにしていないと、モロにスコアに影響してしまいます。


 それが私の実力レベルであり、一生懸命に取り組んでやっとスコアを纏めるもので、少し気が抜けたりすればどこまでもスコアを崩す羽目になってしまいます。
 兄とはいつかゴルフが上手くなった暁は、兄弟として対決したいと思っていますが、正直兄の今のレベルではそれは叶わず、今は一方的に注意しまくるのが現実です。


 もし、兄に上手くなってもらいたいという目的が無ければ兄のラウンドに付きあう意味もなく、普段のように「アプローチの達人」と2時間で終えるラウンドをした方がずっと楽しく、一昨日のように5時間もかかるようなラウンドを好き好んでやりたいわけではないのです。


 一昨日の日記にわざわざ時間を使って兄のパットの様子を作ったのは、兄がパットを外し続けたためその原因を考え、一般的に他のゴルファーが犯す多くの失敗理由がヘッドアップに起因しているためその可能性を示唆しましたが、本人が頑として認めなかったのでその証拠として作ったものでした。


 私には頭が動いているように見えても、本人が「動いていない」と否定するならそれ以上は追及できず、証拠画像で指摘するしかなく、本人がそれを見て自らの感覚と実際の自らの動きが違うことに気付いてほしいだけです。



 上の動画は1番と2番の様子ですが、両方とも奇跡的に兄はパーオンしていて、動画でショットフォームを見るとグリーンオンしたのがラッキーだと言える打ち方です。


 「ショットは水物」と言われるのは、どんな人でもその日のショットはラウンドしてみなければ分からないからで、対してショートゲームは大きくは裏切らないものです。
 つまり兄のレベルでは10年に一回あるかどうかのラッキーショットが重なったラウンドでしたが、結局はショートゲームつまりパットが酷くて結果的にスコアは普段と変わらなかったもので、もっと真摯にパットに向き合っていたら、100切りどころか80台のスコアが出ていて不思議ではありませんでした。


 それなのに、私から見るとショットだけで満足してしまい、その後のプレーが雑というか傲慢さが出ているように思えました。
 1番の4パットは出るべくして出たミスですが、2番のパットでは私がライン上のピッチマークを直すように言ったのに、頑として耳を傾けず自分のプレーを急ごうとする様子が映っています。


 傍目からは私が兄のバーディーパットを邪魔しているように見えますが、ライン上の大きなピッチマークを直す手間をなぜ惜しんだのか私には理解できません。


 プロはライン上にある小さなごみさえも気にして除去する光景をテレビの中継などで目にしますが、そのくらいパットは神経を尖らせて挑むものです。
 球の転がりに影響があると確実に分かっているピッチマークがほぼライン上にあるのであれば、まず最初にそれを修復するのは私には常識で、余計なものに気を取られずにプレーするためには真っ先に修復しておくべきものだと思っています。


 それが気にならないのが私には不思議であり、指摘されても聞く耳持たずの態度にも驚いてしまいます。
 結果的にはピッチマークを避けて左に打って左に外したので、ピッチマークがライン上にあったという証拠ですが、ラインの読み間違い云々ではなく、基本的な姿勢が出来ていなかったのです。


 今日は兄に対して厳しいことを書きましたが、私のゴルフに向き合う姿勢と大きく違うのであれば、一緒にラウンドするだけ時間の無駄のような気がしています。

懐かしい場所へ

 今日は土曜日ですが、当初は何も予定がなく、我が家に宿泊している山形の姉に「どこか行きたい場所はない?」と尋ねたら、阿蘇の伯父・伯母の家に行ってみたいと希望が出て、急遽11時頃から出かけてきました。


 母の実兄になる伯父はかなり以前に亡くなっていますが、その連れ合いの伯母は私が北海道に行っていた今年の6月に99歳で大往生していて、その家自体はかなり以前から空き家になっていました。
 この家には以前は私や姉と同世代の従兄・従姉たちがいて、私が小学生の頃には夏休みになると遊びに行っていた思い出の家だったのです。


 姉も同様に夏休みに私たちと遊びに行っていたことを覚えていて、長男になる従兄に実家に行く機会があれば一緒に乗せて行ってと頼んだようですが、すでに初盆も終わっていたので行く機会はないとの返事で、姉は伯母の葬儀などにも出席できていなかったのでお墓参りをしたいと思っていたものの、行くことが叶わず心残りだったのでした。


 阿蘇とは言っても私がよく行く阿蘇ハイランドなどとは違い、阿蘇外輪山の外側で大分県と宮崎県の県境地帯になり、私も車を運転して何度か行ったものの当時は兄や母を同乗させての運転で、私自身は詳しい道順は分かっていませんでした。
 そのため、子ども心に記憶していたバスの道順で行くことにし、途中の高森町まではそれなりに知っている道でしたが、高森以降は記憶をたどり寄せながらの運転になりました。

(南阿蘇鉄道には熊本市出身の尾田栄一郎氏の作品であるワンピースのキャラクターが描かれているラッピング車が走っていました)

 南阿蘇村の俵山トンネルを抜けてまず高森町に着き、新しくなった高森駅で震災後に運休になって最近再開された南阿蘇鉄道の列車を見学し、高森高校の正門横にあった亡き伯母の姉妹の家があった場所にも行ってみました。


 ここにも姉と同級生になる従兄がいたり私と同年代の従弟がいたので、何度は遊びに行ったことがあり、私は1回だけですが泊まった記憶もある家です。
 現在は人手に渡り、喫茶店のようなお店になっていましたが、当時は雑貨屋のような店を営んでいた記憶があります。


 その後は高森峠を通って目的の尾下地区を目指しましたが、道路が改良されてどこを走っているのか分からなくなり、気づいたら宮崎県の高千穂町に入っていて、車のナビに設定して案内させようとしましたが、字名を入れようとしてもナビの候補に文字が無く設定できませんでした。


 そのためiPhoneのナビ機能を使うと、曲がるべき箇所を通り過ぎて10㎞以上も進んだことが分かり、子どもの頃にバスに乗っていた時間より今の時間で走る距離のほうがずっと短くてよいことが分かります。


 iPhoneのナビではかなり山中を案内され、内心では不安でしたがナビの到着を知らせる声を聴くころに記憶に残っているバス停の建物が見えてきて、私の記憶する道路とは逆から目的地にやってきたことが分かります。

(管理する従姉も県北にいるため、無人の実家はほとんど手入れが出来ないようです)


 生前の伯父・伯母が住んでいた家は、無人になってかなり年数も経ち、周囲は雑草に覆われていましたが、確かに子ども心に記憶のある建物とその入り口でした。
 姉も「小さい頃はもっと大きな通路だと思っていたけどこんなに狭かったんだ」と感慨深けで、誰もいない家を外から回って眺めていました。

(家に通じる取り付け道もコケで滑りやすくなっていて、Uターンが大変でした)

(こちらは私が小学生の頃に遊んだ牛小屋ですが、既に朽ち果てようとしています)

(伯父ちゃんと伯母ちゃんが入ったお墓は、周囲が最近除草した跡があり、従弟たちが初盆でやって来て清掃したのでしょう)


 その後、家の入り口近くにあったお墓にお参りし、姉も「伯父ちゃん伯母ちゃんにお礼が言えて、これで心残りはなくなった」と言っていたのでわざわざ連れて行ってよかったと思いました。


 帰りはやまなみゴルフ倶楽部の横の道路を使ってミルクロードに出ましたが、15時を過ぎてお腹が空いたため阿蘇カルデラ内に降りて、阿蘇ハイランドの施設内にあるレストランに行くことにして車を停めて入りましたが、既にレストランは営業自体をやっておらず、テークアウトの弁当などを提供しているだけのようで、その弁当さえも15時までで終了したと言われ、ここでは遅い昼食を諦めました。


 そのため、ハイランドから直ぐの帰る途中にある日本食レストランに行きましたが、ここも閉まっていたし、もう少し先の古くからある阿蘇高菜ご飯の店もすでに営業を終えていて、阿蘇の飲食店の営業時間の短さに驚いてしまいます。


 結局、遅い昼食は諦めて、合志市にある芋天が名物の「揚げたてや」というテイクアウトの店に行き、芋天を1人1個を紙袋に入れてもらい、帰る車内で小腹を満たすことにしてしまいます。


 結局、自宅に帰り着いたのが17時過ぎで、約6時間のドライブでしたが、私も久しぶりに伯父伯母の家に行き、お墓参りができたのでその意味では充実した日になりました。