三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

「流れ」は本当にあるのか?

テレビでLPGA富士通レディースを見ていたら、16番パー5でトップと1打差に付けていた「アン・ソンジュ」プロがアプローチを2mしか付けられず、このバーディーパットも右に外してしまいました。


解説の戸張さんは「15番でアンさんは同じような距離のバーディーパットを外しているので、『流れ』としてはこの結果になった。もし15番を入れていたらこのホールも入れていたはず。」と解説していました。


この「流れ」とは、ゴルファーによくある「あるある」で、「今日は同じような距離のパットが良く残る。」とか「先に同伴者がバーディーパットを決めたから自分のパットは入らない。」など、いわば先に起こった出来事が次のプレーに繋がって影響を与えるという考え方です。


確かに、そのような傾向はゴルファーであれば誰でも経験することですが、果たしてその事象は本当のことなのでしょうか?


言うまでもなく、それぞれの事象は独立した出来事であり、その間には因果関係はありません。
前のホールでパットを外したからと言って、そのホールも外すとは決まっていないはずです。外すのは、本人の打ち方が悪かったかラインの読みが間違っていたかのどちらかの結果にすぎません。


先に同伴者が長いパットを決めても、誰も自分のパットを物理的に邪魔することはありません。
「カップに蓋」がされるはずもなく、きちんと正しいライン読みで正しいストロークを行えば、カップインするはずです。


本来は「流れ」などはなく、それを作るのはストーリーを作りたがる人間が勝手に作り上げることであり、先のプレーは次のプレーには影響を与えるものではないのですが、人間の意志の弱さがミスした時の言い訳として使うのでしょう。


その証拠に、アンプロは次の17番パー3ではアプローチをミスし、5m以上のパーパットを残していました。
「流れ」論から言えば、このパーパットも外すのが「法則」に則った結果ですが、見事にアンプロはこの距離を沈めることができました。


こんなとき「流れ」論者は、「さすがだ、強い!」とプレーヤーを褒めるだけです。誰も「流れでは外すはずなのになんで?」などと疑問に思わないところが、いい加減な理論だということです。


実際はアンプロは最終18番パー4で、同じような距離のパーパットを外してボギーにしてしまい、「流れ」論者から言わせると、当然の結果だということでしょうが、単にアンプロが今日はパターが良くなかったということだけで、チャンスに決めることができなかっただけなのです。


野球でもこの「流れ」論は良く語られる傾向があります。特に高校野球では8回や9回の大逆転が良く起こることは多くの結果として残っていますが、これらは「流れ」などではなく単に技術や精神力が未熟なだけということなのです。


以前の書きましたが、パットには「惜しい」パットはありません。「入る」は「外す」かであり、2mのパットであればPGAの選手でも入る確率はほぼ50%です。
パターフェース面のたった1度の向きの違いで、2m先では15センチのずれが出てくるというデーターもあります。
つまりそれだけパットは難しいものであり、リカバリの効かない1打になるため、精神的なプレッシャーは他のショットに比較して大きくなるのです。


パットが入らないのは、プレーヤーの読みやタッチのミスであり、そこには「さっきも同じような距離を外したから」という「流れ」などはあり得ないのです。


ゴルフは「ミス」のスポーツであり、ミス無しにはラウンドすることはあり舞えません。
もしミスなくラウンドできれば、最低でもパー3は全て1打で、パー4は全て2打で、パー5は全て3打でホールアウトするはずです。


しかし、現実はギネスの記録では54ストロークさえもないことが、どんなに完ぺきなゴルフを展開したとしても、なにかしらの小さなミスは起こっていることの証明です。


ミスをするのが当たり前だから、「さっき外したから、『流れ』的にはここも外す」という流れ論が生まれてくるのです。
ミスをする確率が高いから、そちらに賭けておく方が当たる確率が高いということなのです。


「前のプレーや他人のプレーは、自分のプレーには少なくとも物理的には影響を全く与えない。」ということですが、なかには同伴者が物理的・精神的にハザードになることがあるのも、また真実なのです。