三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

昨日は人吉まで行ってきた

一昨日、庭の選定作業をしている際に、スマホの着信音が鳴り、出てみたら人吉の病院からでした。

義兄は五木村在住ですが、検査入院ということで先月3日に電話があった病院に入院していたのです。
この時も病院まで連れて行きましたが、当初は1週間程度の入院だとだと聞いていました。
退院が決まったら迎えに行くからと本人に言っていましたが、なかなか退院の話が出ず、2回ほど病院にも行きましたが、担当医師とは会えずに見通しが分からない状況でした。ちょうど入院以来、1か月になり、やっと退院許可が出たようです。


昨日はラウンド予定が入っていたため、4日の午後に迎えに行くことを告げ、昨日は9時過ぎから五木経由で人吉まで行ってきました。


2時間ほどで五木の自宅に到着し、窓を開けて空気の入れ替えを行ったり、簡単な拭き掃除をして義兄の帰る準備をしました。


退院のため病院に行くのは14時頃と言っていたので、12時過ぎには五木を出て人吉に向かいます。五木から人吉市までは約50分ほどの道のりですが、お腹が空いてきたので何か食べようと思い、病院から比較的近い餃子屋に行くことにしました。

昨年、2泊3日で熊本クラウンとチェリー人吉でラウンドした際に、初日の夕ご飯にいった松龍軒という餃子屋です。
ここの餃子は一般的な半月の形ではなく、棒状にアン(具)を包んであるのが特徴です。
昨年、行ったときは誰もいなかったので店主の方といろいろ話をしましたが、棒状の形では半月状の形より、アン(具)が多く必要だと聞き、「そうなんだ~!」と驚いてしまいました。

(1人前が8個で確か360円でした。)


店主は、常に餃子を包む作業をしていて、作っても作っても追いつかないと言い、無くなると営業は終わるのだそうです。
昨年は、行ったときは17時から再開という看板があり、2時間ほど餃子を作る時間のため閉店していたと言っていました。


昨日は店の暖簾が出ていなくて、閉店中かなと思いましたが、入り口の戸を開けて声を掛けると、「やってます!」と返事があり、安心したところです。


お腹いっぱい食べてから、病院に向かいます。餃子で息が臭そうですが、病院では面会者は全員マスク着用が義務化されているので、少し安心はしていました。



入院費を支払おうと思い、それなりの現金を持っていきましたが、会計で尋ねたらすでに支払い済みとのことです。
義兄は足が悪く歩くのが困難ですが、どうやら看護師に連れられて院内にある銀行のCDからお金を下ろして支払いを済ませていたようです。
元々、人吉市内の銀行支店に勤務していて、この病院にも外回りで来ていたと言っていて、その当時とは建物などはすっかり変わっていますが、CDがあることなどは覚えていたようです。

(病院の玄関前から写す。茶色の部分は診療棟で奥の白い建物は病室棟になるようだ。)

(入院案内のパンフレットにある病院の全景。上の画像は右手前から写したもの。)


義兄には軽い認知症があり、病室に行くと最初は反応がないのですが、しばらくすると分かってくれ、「わざわざ来てくれてありがとう!」と言ってくれました。
荷物を纏め、病院から借りた車いすで9階の病室から1階まで下り、車を玄関に横づけてから五木まで向かいました。


入院してからずっとベッド暮らしをしていたためか、かなり足の力がなくなっているようで、車から降りて自宅に入るまで、かなり苦労し、どうにか補助しながら帰宅することができました。


1人暮らしで心配ですが、幸い地域の民生員さんや保健師さんたちが気にかけてくれていて、昼間には保健師さんが、夜には民生員さんが様子を見に来てくれたようです。
今日はホームヘルパーが来る日だし、夕食用の弁当の配達もあり、月・木にはデイケアのお迎えでセンターでの食事や入浴介助もあり、小さな村だからこそ細かい福祉が行き届いるのが助かります。


何かあった場合、熊本から五木まで急いで行っても1時間半以上はかかるため、地域の方々の見守りが必須であり、小さな地域のため誰でもが昔からの顔見知りで、その意味でお互いの助け合いの精神が残っているのが幸いでした。
義兄はお人好しで、若いころからいろんな方々の手助けに行ったりして交流していたのが良かったようで、自分が困ったときに周りの方々がサポートしてくれるようです。


それでも歩行がままならない状態での1人暮らしは、いつまで大丈夫なのか、この先の自分たちを含め、例えば五木に介護のために移ることを考える時期かもしれません。