三重苦ゴルファーの日記

69歳になった飛ばない・寄らない・入らないの三重苦を持つシニアゴルファーの日記です。

グリーンでの心構えは「デジタル派」が良いかも

ショットやアプローチで、ピンに絡めるナイスオンし、期待してグリーンに上ると、思いのほか自球がカップより遠かったと感じたことはありませんか?


人は勝手な生き物で、カップまで同じ距離が残っても、ミスった手応えで結果を見るのとナイスショットでの結果を見るのとでは、最初の期待値が変わるため、受けるイメージが大きく変わります。


ショートホールでベタピンと思ってグリーンに近づき、5mも離れていると分かると、もうそこで入る気がしなくなるのは私だけでしょうか?
手応えが良かった分、もしかしたら1m以内かもと大きな期待をしてしまうから、5mという立派な結果でも、最初の期待値が高かった反動で、がっかりする意識が働くからです。


どんな時でも気持ちを波立たせてはならないのは、スコアメークにおける鉄則だと言えるため、例えショットに手応えがあっても過剰な期待はしないことです。


アプローチでも同じことが言えます。
縦の距離では正確な距離が分かりづらいため、手前からのアプローチがピンに近づいていくと、「上手く寄せれた」と思ってしまいますが、実際に球をマークに行くと1m以上が残っていてのが分かり、なんとなく「嫌な距離だ」と思ってしまいます。


これも最初の期待値が高かった分、微妙な距離に対して反動する気持ちが起きてしまうのです。


また同じような距離のパットを先に打たれ、カップに沈められると自分の方が短いのにも関わらず、「自分は外すのでは?」という意識が働きがちです。
よくラウンド中には「先に蓋をされたから入らなかった」などというボヤキを聞くことがあります。


私はCS放送でよく麻雀の番組を見ますが、麻雀プロの中には「アナログ派」と「デジタル派」という2種類の考え方があるようです。
「アナログ派」はベテランプロに多く、いわゆる「流れ」があり、好調な時は少しくらい無理しても和了りを得られ、反対に不調なときはとことんツキが無くなるため、そうなる前にどうにかして「流れ」を変えることが必要という考えです。


それに対して「デジタル派」は、もともと麻雀の配碑は偶然の産物で、自摸も偶然であり、そこには「流れ」なんてものはなく、全ての事象が一つ一つ切り離されたものとして起きうるという考え方です。
当然、ツキや不運ということもなく、それらは結果に過ぎないという考え方です。


日本人は、「アナログ派」の考え方が多いような気がします。現在、真っただ中の甲子園での高校野球でも、解説者が「流れ」などを含めた解説をしているのをよく聞きます。
最終回に大逆転が多いのが高校野球の特徴ですが、実はこれは、それを信じているからこそ起きる事象であり、プレーしている人間がそう思い込めば起こることなのです。


最終回に逆転勝ちがあると信じていれば、諦めることなく攻撃に移れるし、守備側は心の中で「逆転もあるかも」と恐怖心を持つから、些細なミスを起こし、そこから大きく崩れるのです。


話を元に戻せば、グリーン上では常にそれぞれが別の現象であり、先に打ったパットが入ったからといっても自分のパットが入らないことなんてありません。
要はプレーする者の気持ちの問題で、「入れる!」と強く思えず「外すかも」という消極的な気持ちでパットに向かえば入るものも入らなくなるのです。


ショットやアプローチがピン方向に行っても、それも一つの現象だったと冷静に受け取れば、例え思ったよりカップから遠くても、平静な心で次のプレーに集中できるはずです。


とはいっても、全ての事象にストーリー性をつけたがるのは、人間の特徴なのかもしれません。
それを踏まえて、できるだけ有利なストーリーは考えても、そうでない場合は「そんなこともあるさ」くらいの「デジタル派」の考えをしたいと思っています。